伯友会

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30期

「30期生卒業50周年記念同窓会」顛末記

朝六甲学院にて

 

 

 

「1日経ったが、みんなで合唱した『港神戸に雨が降る』が耳について離れない」(山崎談)

そもそも昨秋、コロナ禍の中で記念同窓会の開催時期の話をした時に、塩村が「はよやりたいな。もう会えない奴がおるかもしれん。エエ同窓会やりたいな」と漏らした。それが妙に頭に残り、「よし、それなら盛大にやってやる!」と一人心に思ったのが始まりだ。

関西の実行委員をかため、何度か東京とZOOM会議を開いた。岩佐と図って名簿を片っ端から確認し、生き残り160人中130人を超えるメールリストを作り、年明けとともに始動。塩村の提案で遠方から来るもののため「六甲学院見学」を古泉(元校長)に依頼。3月から呼びかけが始まった。北海道から九州、ニューヨーク、シンガポール、出欠の確認とパンフに載せる近況を集めていった。福井に依頼し、素晴らしいDVDもできた。松浦、尾崎神父(30期には2人も神父がいる!)に無理言って会場でミサをやってもらうことになった。90歳を超える山下先生、平井先生も喜んで招待に応じてくださった。圧巻は本田先生の歌う「港神戸に雨が降る」の動画だった。

5月28日(日)、奇しくもコロナ禍から久々に再開された神戸祭りと同じ日。午前に、30余名が六甲学院を見学、古泉、金田によって新校舎内を案内され、久々の庭園、小聖堂に立ち寄り、懐かしの風に思い出を楽しんだ。その正午、78名が神戸駅南の会場に集合した。

まず松浦、尾崎神父の司式で逝去された先生方、同期13名のためのミサが行われる。ピアノ村田真澄、サキソフォン中田正一郎の伴奏で「六年の春秋」の歌とともに献花が行われる。「讃歌」で閉式、神父を囲んで写真の後、いよいよ開幕。司会高橋が緊張する。

30期会会長古泉の挨拶、山下、平井先生から言葉を頂き、塩村が相変わらぬ毒舌の後「乾杯」。広い会場もこれだけ入るとほぼ満杯。本当に50年ぶりの奴もいて、しかも変わり果てた頭、体形に高橋提案の胸の名札がなければ分からないほどの状態で、それでも話が弾む。会場のそこここに数名の塊ができてはまた次の塊ができる。思い出話、現在の仕事、家族・・・人生の様々な体験の話をまるで昨日別れた友のように話し合う。

ここで福井が作ってくれたDVD「30期50周年の集い」が始まる。騒がしい場内が一変して静かになる。在校中の思い出、今は亡き先生方、友人とのさまざまな活動、卒業後の同窓会の場面の数々・・・「夢多き日のあこがれよ 希望果てなき心もて」(六年の春秋3)

またしばし後、本田先生がこの同窓会のために送ってくださった動画が始まる。高齢でかすれた声ながら、「港神戸に雨が降る」を歌われたものだ。30期の感動がピークに達する。

動画放映の後本田先生に贈り返そうと、寺井指揮のもと全員でこの歌を合唱する。みんな60代最後になっているというのに「大声で、元気よく」(よく本田先生から言われたものだ)合唱する。涙ぐむものもいる。

会場に展示されていた上沼先生のデッサンが、瞬く間に売れていく。1点に何人かが殺到すると清水が半ば恣意的にさばいていく。蔭山、太田から昔の仲間のことが報告される。

いよいよ締めくくりは「六甲学院校歌」、ピアノ・サックスの豪華な伴奏で、みんな心を一つにして合唱する。「60周年記念でまた会おう!」の言葉で会はお開きとなった。

その後、みんなクラブや親しい友人たちと三々五々二次会に行き、中には夜中まで旧交を温めたものがいたという。翌29日は30期ゴルフ友の会(別名ゴルフクレイジー)のコンペが新しい仲間を入れて20数名で開かれ、楽しいひとときが続いたということだ。以下の写真は、園田、江良、市や県で各種受賞のプロが写してくれたものだ。

(文責 﨑 正則)

 

ミサ後の集合写真

 

会ラストの集合写真

当日各行事参加者一覧

参加者
六甲学院見学

32名

 

井原、上垣恵、上田茂、宇治、江良、大垣、大木、太田、岡本、蔭山、

金田、紀、木下和、小泉、小林義、小山、古泉、塩崎、塩村、清水、

菅原、寺井、中田孝、橋本、平野、福嶋、前川、山崎、山村、村田良、

若山、渡邊憲

ミサ、同窓会

来賓2名同期78名

 

[来賓:山下健司先生、平井一嘉先生]

安倍、井原、池須、池田、岩佐、岩下、宇治、上垣正、上垣恵、上田茂、

江良、越智、大垣、大木、太田、岡哲、岡本、蔭山、金田、神戸、

木下和、紀、熊倉、黒田友、小泉、小林義、小山、高野、嵯峨山、崎、

古泉(佐久間)、清水、塩崎、塩村、下田、島田、白井、菅原、鈴木盛、園田、

高橋、玉田、千葉、出口、寺井、中井、中田正、中田孝、中野、中道、

中山、橋川、橋本、秦、服部、平野、福嶋、福井、房、藤澤、

前川、松浦、松岡、松本仁、水谷、村田真、村田良、森滋、森下、森近、

山崎、山村、吉田昌、若山、渡邊憲、早瀬、  ミサのみ:尾崎、緒方

ゴルフ

16名

岩佐、宇治、太田、岡本、黒田友、嵯峨山、白井、千葉、出口、中山、

平野、前川、村田真、渡邊憲、渡邊正、

 

30期同窓会顛末記

[関西]

出席者:
神戸、高橋、福島、渡辺正、中道、秦、江良、橋本、福井、園田、黒田慶、横山、村田真、鈴木耕、岡本、千葉、蔭山、野村、小林道、堀、大木、上垣、中内、小泉、岩佐、中山、平野、崎、島田
ミサ
15時~16時  神戸中央カトリック教会
茶話会
16時~17時  同教会  集会室
新年会
17時30分~20時30分  ゆずの庭 三宮店

[東京]

出席者:
塩村、金澤、山村、松井隆、賀来、房、寺井
場所
ブリキの時計(高円寺、金澤経営)

1月8日(月)恒例になった正月の関西の同窓会が行われた。今年は東京組も同じ日の同じ時間帯に有志の会を開催した。

関西は、当日松浦神父に東京からわざわざ来てもらい、神戸中央教会で30期の逝去者へのミサを行った。村田真伴奏、中山、古泉(六甲学院校長)の侍者という豪華な顔ぶれで亡き同窓の写真を祭壇横に置き、在りし日を思い浮かべながら司式された。式後の茶話会では、各自の近況報告、簡単にと言いながら、それぞれ毎日健康法やら病気の話やら歳相応の話題で話が伸びる。幸いなことに(幹事が把握する限り)2017年は帰天した同窓がいなかった。「だいぶ神から嫌われてるなぁ」などと冗談を言って、再会のひと時を楽しんだ。

場所を変えて新年会では、50期の後輩が今年夏の伯友会懇親会の宣伝に来られて、それを話題に六甲の現状、昔話などに興味が湧く。乾杯の後は3時間の飲み放題の早いこと、参加者全員と話などできなかった。しかし、今回は昨年闘病で頑張っていた30期の看板の堀が出席し、以前と変わらぬ毒舌ぶりでみんなを巻き込んでいたのが嬉しかった。東京から来ていた中山や渡邊正、野村、横山など現在も第1線で頑張っている者も多数おり、まだまだ「30期老いず」の感があった。

同時間帯に東京では有志が集まり、金澤の経営する「ブリキの時計」(高円寺駅傍)で焼き鳥、鶏鍋の会を催していた。これは西脇で焼き鳥店「はや鳥」を経営する園田から食材を取り寄せたもので、百日どりの料理とワインに舌鼓を打っていた。東京は関西以上に個性的なメンバーが多く、話が弾むと身の危険を感じる(?)ようなこともあるとか?途中で関西に電話を入れたが、喧しくてなかなか話が伝わらず、互いにフェースブックに書き入れて連絡をするという始末であった。なかなかいい時代になったものだ。

(文責:崎)

30期新年会顛末記

開催日:
1月9日(神戸)
参加者:
岩佐、宇治、上田(茂)、江良、大木、岡本、蔭山、神戸、木村、黒田(慶)、小泉、小林(道)、古泉(旧佐久間)、崎、島田、鈴木(耕)、園田、高橋、中内、中田(正)、中道、野村、橋本、秦、福嶋、福井、藤澤、松浦、三宅、村田(良)、村田(真)、横山、渡邉(正)、緒方
開催日:
1月3日(東京)
参加者:
金澤、寺井、山村、中山、房、石川、藤井

[神戸]

[東京]

毎年年始め恒例になっている逝去者追悼のミサと懇親会、その後新年会のパターン。1月9日、昨春東京へ転勤になっていた松浦神父に来てもらい、神戸中央教会を借りてミサから始まる。今年は岨先生が新たに逝去者に加わられた。中1での出会いから若手の担任として私達に最も近しく接してくださった先生だけに同窓の思いも深いものがある。神戸だけの同窓会にしては異例の30名以上の参加者で粛々と行われた。松浦神父の説教も堂に入ったもの、まあみんな60過ぎてるんだから人生経験も豊富だわ。村田(真)君の伴奏も意外(失礼)と上手、讃歌、校歌で締めくくる。懇親会は隣接の会場で、各自の自己紹介やら冷やかしやらで和気あいあいと、それぞれが岨先生や同期の逝去者との関わりを紹介する。また現状、最初の会社を退職し第2の人生のやりくり、病気のことなど「元気に」話す。癌の専門の小泉君が生き残っているのが心強い。再就職組も多いのだが、62歳程度ではみんな忙しくしているし、F君はそのまま、「大人しくなった」と自称しているK君も相変わらず大阪近辺でよく遊んでいることも分かる(笑)。

場所を変えて、三の宮の「近江屋」で同窓会、ここから参加という数名を加えて更に濃密に会が進む。T教団の元締めのようなW君、流通科学大学長の中内君、まあ、この二人が30期のパワーの最たるものであろう。外科医、歯科医、獣医に至るまで医者が多いのも同期の特徴だろう。心強いものである。3時間飲み放題がなんと短く感じられたことか。結局全員とゆっくり話す間もなく、「また会おな!」でお開きに。

関東のメンバーも1月3日に高円寺「ブリキの時計」(金澤君がマスター)で集まりました。3が日なので多数ではありませんでしたが旧交を温め、また現状を雑談したりしました。関西から、東京に実家のある村田(真)君が参加、山の話や旅行の話を肴に時間を忘れて話し合いました。

文責:崎 正則

30期新年会顛末

開催日:
平成27年1月3日(土)
場所:
カソリック神戸中央教会・大豆屋
参加者:
12名
松浦、古泉(佐久間)、園田、高橋、出口、島田、村田良、宇治、秦、中道、上田茂、柿本
東京は不明、多数

30期も昨年中より次々に還暦を迎え、退職など第2の人生を送るものが多くなった。

5、松浦神父、ミサ上達

そもそもが平成26年12月13日にミュンヘン神戸大使館で忘年会をやったことがきっかけだった。同期H君が入院直前だったので励ましも込めてやろうと呼びかけたところ、東京、札幌をフェイスブック中継する大変なものになって、合計参加者30名位になる。その日は例のごとくどの会場も酒乱が出てシッチャカメッチャカに終わるというパターン。それで年明けはまじめに?定例の新年会だが、松浦謙神父の呼びかけで同期の逝去者を弔うミサから始めようという事になった。遠く西脇より園田も迎え、4時より松浦師司式、古泉(旧姓佐久間)新校長が侍者を務めるという豪華な顔ぶれで5人の逝去者(岩本、大野、上田誠、森泉、鈴村)のために捧げた。大野の奥さんも出席して下さり、旧交を温める。六甲学院讃歌、六甲学院校歌をみんなで久々に斉唱した。いい歌だ。

その後会場を替え、大豆屋で一風変わった鍋に舌鼓をうつ。けしからんことにこのミサに来ず、この会場に直接来た奴が約2名、その吊し上げから始まる。九州在住の出口や福山から来た上田茂らも久々を感じさせず、まるで昨日卒業したような話の輪の中で、それぞれの現況報告、まあ、しかし「老後」を感じさせないバイタリティあふれる話が続く。実はこの時間東京の有志数名がまた高円寺「ブリキの時計」(30期金澤経営)に集まっていて、今度は携帯で連絡し合いワイワイ話が盛り上がる。

25、二次会メンバー

これが引けた後は正月からコネを効かせてこじ開けた2次会のスナックへ、ハイボールを飲み続け、さらに3次会場へ、結局幹事の一人崎は家に帰らず、園田とホテルに泊まることになったという長い長い一日であった。
さらに後日1月14日この会に出席できなかったメンバーが約10名、どこにでも現れる高橋・島田の音頭で続新年会を開いたという。よう集まる学年だ・・・・

11、参列者集合