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LA今昔日記-遠い国から近い国に-

日本からロスアンジェルスへの渡航は戦後船から飛行機になったが 、当初はエリューシャン列島を飛び石づたいに航行する、ローカル線の継続のような航路であった。

やがて1954年日本航空がダグラスDC-6型を導入、憧れのホノルル経由航路(羽田→ウェーク島→ホノルル→SF)をオープンした。しかしまだプロペラ機時代だったので、所要時間は31時間となんとも悠長なフライトとなった。それに神戸から羽田までの鉄路、SFからLAへの連絡空路を加えると、総計40時間を超えるまるで周遊の旅行であった。

この当時、総合商社に勤務する先輩がLAに赴任することになった。大阪駅まで見送りに馳せ参じると、既に駅頭には十数名の上司・同僚が彼を中心に円陣をつくり、代る代る激励の辞を述べておられた。その光景は戦時中戦地へ赴く軍人を見送ったのと全く同じであった。しかしこの40数時間の空の旅はエリートのコースで、手元不如意な官費留学生は”貨物と共に行きましょう”と貨物船に便乗し、20日がかりで米国へ運ばれて行った。神戸のメリケン波止場から出帆したので、紙テープを持ってお祭り騒ぎで見送りに行ったものだ。事程左様にLAは遠い国であった。

画期的なジェットエンジンが開発され、ボーイング社が1959年707型ジェット機を発表した。これが700シリーズの始まりで、現在は787型にまでなっている。707とは採用したのが707番目のデザインだったからというが、どうも製薬会社の命名法と同じような気がした。その後他社も負けじとジェット機を登場させたので、ついに世界はノンストップ・フライトの時代を迎えた。兼高かおるが「世界の旅」シリーズを始めたのはちょうどこの頃であった。神戸市生まれの彼女は女学校を卒業すると、戦後渡航の最も困難な時代に敢えてLA市立大学に留学している。彼女は旅シリーズで160か国を回ったが、やはり LAが懐かしかったのであろう早々に「ロスアンジェルス紀行」を放映した。

当時日本の主要な人物はこぞって米国の玄関口となったLAに立ち寄られた。天皇陛下も皇太子時代から複数回来駕されている。写真家の宮武東洋氏が殿下の肖像写真撮影を願い出たところ、3分以内という条件で許可が下りた。助手を任された息子は必死になって照明をセットし、いざ撮影という時に殿下の髪の毛がぴんと立っているのに気付いた。とっさに髪を手でおさえ無事時間内に撮影を完了した。息子はよくやったと褒められるとばかり思っていたら、父親から大目玉を食う。「貴人の頭に手をやるとは、不敬罪で打ち首だ」と叱られた。一世(いっせい)である父と二世(にせい)である息子との感覚の相違である。

ちなみにこの時代渡米した日本人エリートが一様に買ったお土産は、なんとデュポン社が発売した婦人用ナイロン靴下であった。どこのお宅でも奥さんか娘さんに「パパ買ってきてよ」とせがまれたのであろう。

近年日本からの留学生は減る一方、それに反して中国、韓国は増え続けている。若年時に言葉に適応する耳と舌が出来上がり、ひとたび完成すると逆戻りは出来ぬと専門家は言う。これではますます語学力で他国に水をあけられるばかりだ。願わくばお子さんの進学指導に際し、選択肢の一つとして米大学を加えて下さいますまいか。2014年度の世界大学ランキングが先日発表された。日本が誇る東大は23位と低位に甘んじ、いつもながら上位は米国が90%英国が10%を占めている。米国が世界に君臨して以来、授業が英語にあらずんば、大学ににあらずの感さえある。日本の有名大学卒より日本語・英語バイリングルの方が世界で重用されるのは確かだ。

欧州系にトライリングルが多いので、次に日本語を習ってはと水を向けると共通点がないのでと皆困った顔をする。日本が孤立せず世界の一員になるには、日本人自身がバイリングルになる以外方法がない。

日本は情報の処理・発信が遅くて拙(マズ)いので、いつも後手に回り諸外国の後塵を拝している。発信能力を高めるには政治、歴史、文化あらゆる分野にその素養のあるバイリングルを配置し、常にアンテナを張り巡らしておく必要がある。しかし彼らの数は少なく、必要数の十分の一にも達してないのが現状なので、今後政府の積極的な奨励対策を大いに期待して止まない。  

本年3月関空よりLAへの直行便が復活した。往きは偏西風により9時間少しでLAに着く。昔神戸から東京へ夜行列車銀河で行ったのと同じ所要時間である。 
五明 洋(10期)  

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