伯友会

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第5回フリン先生を偲ぶ会(神戸)のご報告

第5回フリン先生を偲ぶ会ミサ後の集合写真

2019年7月27日(土)に、母校のお御堂および別館106号室にて、フリン先生を偲ぶ会を開催しましたので、ご報告します。

今回も、東京から井上潔先生をお招きして、御ミサを執り行って頂きました。今年から別館106号室を「フリン先生メモリアル・ルーム」として、利用させて頂けることになり、そのお披露目も行いました。また、新たに寄贈されたCDプレーヤー(リピーター)を常設しましたので、フリン先生の声を聴くことが出来るようになりました。

ごミサへの出席者は、添付の写真の通り、井上先生をはじめ、35期2名

(大橋さん、津吉さん)、29期6名(金子、北村、高橋、藤井則雄、真弓、松本宏)の合計9名でした。

阪急六甲での懇親会には、井上先生、35期2名(澤田さん、津吉さん)、29期は入江、田原進が加わり、合計11名が出席しました。

来年は、フリン先生生誕100周年にあたるので、多数お集まり頂いて、お祝いをしたいと思います。

文責 29期 松本 宏

フリン先生を偲ぶ会(東京)のご報告

フリン先生10周年ミサ後の集合写真

2019年2月17日(日)に四谷イグナチオ教会で行ったフリン先生しのぶ会(10周年)の報告をします。

今年も、地下のクリプタで35期の英神父司式追悼ミサに与り、ミサ後、祭壇のフリン先生の写真を囲んで全員写真を撮りました。

その後、先生のお墓参りをしました。ミサには34名が出席しました。その中に、泰星学園(現福岡上智)時代の教え子夫妻とご両親も含まれていました。

例年通り、中華料理店(京華園)で懇親会をしました。
今年は、各期毎に集まって懇談し、フリン先生の思い出話はあまり出ませんでしたが、全会一致して来年以降もしのぶ会を続けることになりました。

最後に校歌を歌って解散しました。

懇親会の参加者は合計32名でした。ミサのみ参加は3名
17期 1名、23期 13名(懇親会12名)、29期 6名、35期 14名(懇親会12名)、
41期 1名

文責:23期 大谷 秀二

母校(別館・お御堂)にて実施したフリン先生を偲ぶ会 (第4回)の報告

日時:2018年3月24日
場所:母校(別館・お御堂)

参加者は、井上先生(司祭)、古泉校長、23期 1名、29期 7名、41期 1名の合計11名でした。井上先生にお願いし、今回から各期の物故者も偲ぶごミサにして頂きました。来年は、可能な範囲で各期の物故者のご氏名も、読み上げて頂き、フリン先生と共に偲びたいと思います。

次に、別館の清掃ですが、毎年、精一杯の清掃を実施しているお蔭で、たいへん綺麗な状態が維持されていました。来年以降は、清掃の時間は15分ぐらいとし、遺品・教科書等の見学、及び、フリン先生の声(音声CD)を聴く時間をしっかり取りたいと思います。

古泉校長による新校舎見学では、まず最初に本年4月から、全校生が使用する新しい徽章が披露されました。また、初めて屋上に上がり、立派なソーラーシステム(夏場の最も暑い時期でも使用電力をカバー出来る)のご説明も頂きました。伝統ある校舎の姿を残しながら、最先端の設備もうまく配置されており、感心しました。

懇親会では、フリン先生を偲ぶ出席者各自からのメッセージは、いつもどおり、大変面白く、また、興味深く、この会を開催出来て、本当に良かったと感じるひと時でした。

文責:29期 松本 宏

四谷イグナチオ教会で行ったフリン先生を偲ぶ会(9周年)

日時:2018年2月11日
場所:四谷イグナチオ教会

3年連続で、地下のクリプタで35期の英神父司式追悼ミサに与り、ミサ後、祭壇のフリン先生の写真を囲んで全員写真を撮りました。その後、先生のお墓参りをしました。

今年は、参加者が多く、ミサには40名が出席しました。

例年通り、中華料理店(京華園)で懇親会をしました。

今年は、ほとんど各期毎に集まって懇談し、フリン先生の思い出話はあまり出ませんでしたが、29期の藤井則雄さんがプログレスのプリント(活字版)を持参してくださいました。

また、久しぶりに41期が参加し、挨拶をしてもらいました。最後に校歌を歌って解散しました。

懇親会の参加者は合計37名でした。ミサのみ参加は3名

17期 3名
23期 11名(懇親会10名)
29期 7名
35期 15名(懇親会13名)
41期 4名

文責:23期 大谷 秀二

アンコールワット・ベトナム旅行のトラブル&珍事

今年のむとせ会有志による海外旅行はカンボジア/アンコールワットとベトナムでした。ちょっとしたエピソードをご紹介します。

勝手な通訳にご注意!

ホーチミンの代表的な有名ホテルであるホテル・マジェスティック最上階の「M’s Bar」での出来事。
前日に二人が下見をし、旅を振り返る旅行最終日の夜にふさわしい眺めのよい席を予約しておいた。
席に着くと巧みな日本語で注文を捌いてくれ、ウィスキーをワンショットずつ注文して気持ち良く呑んでいた。ところが乾季には珍しく突然雨が落ちてきたので屋内の席に移動することに。我々と一緒に注文していないウィスキーのボトルもついてきた。ボトルがテーブルにあるのを不審に思い注文を捌いた男を呼ぶと、男は「二杯三杯と飲むとボトルの方が安いのでボトルを注文した」と言う。男はボーイと同じような黒い服装だが制服ではない。飲み助は二杯三杯と勝手に注いでボトルの半量ほどを空けていた。しかたなくボトルの半額を払うつもりで、手書きの勘定書きを細かくチェックすると、ボトルの半額より高めのボトル料金に飲み代とほぼ同額のミュージックチャージ料が書かれていた。すったもんだのあげくボトルの料金を半額に訂正させ、支払おうとすると現金で支払ってくれと言い始めた。私たちの旅行は帰国後の精算のためにクレジットカードを使用することが多い。ホテルのレジへ行き、ホテルの請求書をみるとミュージックチャージ料は記載されてない。男はミュージックチャージ料と称する金額を横取りする目的でホテルのボーイとグルになり手書きの勘定書きを示し、現金での支払いを要求したのだ。男は『儲け損なった』というような顔をしてトボトボと帰っていった。
賢明な六甲伯友会の諸兄には余計なお世話かも知れないが、海外旅行の時は勘定書きを必ずチェックすることが必要だ。今回のように英語で書かれていれば細かくチェックできるが、現地語で書かれた明細は読めない。しかし品数を数えるだけでも効果はある。そして巧みな日本語で近づいてくる人物(日本人を含む)には充分ご注意を。

支払は簡潔に

再びお金に係わるエピソード。
カンボジアの最終日、ガイドへの心づけのつもりで彼お薦めの土産を買った。それぞれが自分の支払額をガイドに手渡せばよかったのだが、揺れるバスの中なので後方から順繰りにお金を送っていった。しかし合計金額がたりない。酷暑の中で観光したあとの疲れた頭では勘違いも起こる。未だに原因は不明のまま。

人使いの荒いベトナム

ベトナムへ初めて訪れたときにサービス精神のない国だとの印象があった。十数年ぶりの訪問でもその印象はあまり変わっていない。
例えば普通のレストランではテーブルサービスのとき客のあいだに身体を斜めにして入ることをせず後の方から客に料理を渡したり、空いた器を客にとらせたりすることを平然とするのだ。気のよい連中は郷に入っては郷に従えと腹を立てることもない。もちろんホテルや一流のレストランでは洗練されたサービスを受けることができるが、十数年前にはそれもなかったので進歩していることは間違いない。

愛犬家のみなさまへ

今年でいよいよ51 歳、後期アラフィフ突入です。
LA伯友会の諸先輩からすれば「若いなぁ」になるのかもしれませんが、今の私が「若い」と言われそうな場所は、ついにここだけになってしまいました。
50歳ってもっとなんというかしっかりしたものだと思っていたのですが、中々現実は・・・
多分41期生の私が卒業した頃、佃先生が今の私ぐらいだったと思いますが、今思い返すとバケモノですね。

実は、ここ数年、LAで保護犬団体のボランティアをやらせてもらっています。
犬の保護活動を少しかじって感じるのですが、犬を取り巻く世界も、あの頃と今では大きく変わってきたようです。

私が初めて飼った犬は、友達の家で生まれた仔犬でした。
その友達の犬が死んだあと、ウチで生まれた仔犬をあげたりもしました。

その頃は、ウチの周りでは大体そんな感じだったと思います。。
お金持ちの家が、血統書付きの犬を飼っていたりということはあったのかもしれませんが、犬をお金を出して買うって言うことは、そのころ私が住んでいた奈良の田舎では聞いたことがなかった気がします。

飼うのはもちろん外飼い。
犬が家の中に入るなんて、考えられないというか、考えたこともありませんでした。

今は、どちらかというと室内飼いが主流になってきているように思います。
と言っても、日本を離れて27年、今の日本がどういう状況かはわかりませんが、ここLAでは外飼いが目立つのは、どちらかというとちょっと危ない地域になります。

時代や環境が変わることで、犬の状況も変わってきたということですね。
すごくおおざっぱに言ってしまうと、人間の生活と犬の生活が昔よりも大きく重なり合っているように思います。

この環境の変化の中で、犬の問題も随分と増えてきました。
無駄吠え、噛みつき等ももちろんそうですが、多分一番の問題は増やしすぎ、ということじゃないかと思います。

アメリカのペット保護団体最大手であるASPCAの統計によると、現在アメリカで飼われている犬は推定で7~8千万頭。これはちょっとすごい数字で、お隣の国、韓国の人口が約5000万人ですから、それをはるかに上回る数の犬がアメリカにいることになります。

その中で、シェルターと呼ばれる捨て犬の収容施設に入れられる犬が毎年約400万頭。実に神戸市の人口の2倍を大きく超える犬が毎年収容されています。そしてそのうちの約140万頭が運よく新しい家族を見つけ、約120万頭が毎年殺処分ということになっています。

シェルターや保健所というのは、もともと殺処分をする施設ではなく、放浪犬など飼い主からはぐれた動物の保護施設です。
それでもその収容能力には勿論限界があり、それを超える時、仕方なく殺処分という方法がとられます。アメリカの場合、その犬が放浪犬だった場合、つまり飼い主が分からない場合は飼い主からの連絡を待つということで比較的長く保護されますが、飼い主が直接持ってきた場合、殺処分のタイミングはずっと早くなり、そのシェルターの収容状態によっては1週間前後がリミットになってしまう場合もあります。

日本の現状でいうと、殺処分の数は大きく減っています。
私が初めて犬を飼った昭和40年代後半には年間1000万頭を超える犬が殺処分されてたそうです。
あの頃は、確かに野良犬をしょっちゅう見ていた気がします。だからこの頃の殺処分は野良が中心だったのでしょう。
今はどうかというと、環境省の発表によれば、平成26年度の統計で2万頭強だということです。
激減と言っていいと思いますが、内容を見ると今は飼い主の持ち込みが大半を占めているそうです。
日本の場合、短ければ保健所で生きていられるのは2泊3日
持ち込まれた日を1日と数えるところと、次の朝からカウントする所があるようですが、これがタイムリミットです新しい飼い主が見つからなければ、それで終わりです。
もちろん、保健所に余裕がある場合はもっと長く滞在できることもあります。

これを何とかしようとしているのが、民間の保護団体ということです。
行政も頑張ってくださっていますが、なんといっても税金ですし、この社会は犬好きばかりではありません。全員が犬好きで、みんなが犬を助けたいというのなら税金も沢山使えるのでしょうが、もちろんそんなことはありません。だから、犬好きが起こす犬の問題は、犬好きが何とかするしかないという当たり前の結論になります。なんとか、救える命は救ってあげたいと。

ただ、前述の通り、数が数ですから、全部という訳にはいきません。
また、安易に「殺処分0」を掲げると、また新たに問題が起きたりもします。
というのは、以前「殺処分0」を掲げた自治体があったのですが、近隣からその自治体に捨て犬が殺到するという事態になりました。みんな捨てはするけど、殺されるのは夢見が悪いんですね。
また、殺されないという前提が出来てしまうと、捨てるということのハードルがぐんと下がります。
気に入らなければ捨てればいい、ということにつながってしまうんですね。

実際、ウチの団体では、持ち込みは原則お断りしています。
自分でシェルターに持って行ってください、あなたのせいでこの犬が殺されるかもしれないという経験をしてください、ということです。
稀に引き受ける時もありますが、その時には犬を捨てる飼い主からお金をいただきます。
何もなしで引き受けて、あそこに持っていけば大丈夫なんて噂がたてば、うちなんかあっという間にパンクするからです。

では、殺処分0を目指さないなら何を目指すのか、というと、「捨てる飼い主、捨てられる犬0」を目指しています。
殺処分0で捨て犬の受け皿を大きくすると、結局犬を捨てるという蛇口が大きく開いてしまうことにつながるので、その蛇口を少しでも閉めることが先決だということです。

お手伝いするようになって3年ほどたちますが、その間に数百頭の犬が新しい家族に迎えられました。
そのうちで、私が知る限りで戻された犬(お試し期間を除く)はわずか数頭です。

私自身がやっていることとしては、最初は掃除や散歩の手伝いだけでしたが、ほどなくして「預かり」も始めました。

「預かり」は、飼うのではなく保護犬のままで自宅でその世話をすることです。保護犬の施設では様々なトレーニングが施されますが、そこでできない「実際の家庭」での環境に慣れさせることが目的です。といっても、実感としては普通に自分の犬のように可愛がって叱って遊んで生活するだけです。

その数が現在までで27頭。最近の犬は長生きするようになって、小型犬なら15年~20年は普通に生きます。それを27頭ということは、一頭ずつ飼っていれば400年ぐらいかかる話ですが、預かりならそれが3年ほどで経験できてしまいます。色んな種類、いろんな性格の犬と一緒に暮らすというのは、本当に面白いですね。一緒に暮らしていた犬がいなくなるのは寂しくないですか?とよく聞かれたりしますが、これは嬉しくて寂しくて嬉しい不思議な感覚です。教師が卒業生を送り出すのに似ているかもしれません。

今、日本でも多くの保護団体が、死に直面している犬をなんとか一頭でも多く救ってやろうと頑張っています。3万頭に近い保健所収容の犬を全部救うのは不可能に思えますが、それでもできる範囲で頑張っています。でも、もうちょっと輪が広がれば、決して不可能なことではないと思います。

伯友会の「犬好き」の皆さん、すでに犬を飼ってらっしゃる方、これから飼おうと思っていらっしゃる方、そのチョイスに是非「保護犬」を加えてやってください。
飼うっていう決心がつかない方、転勤が多くて犬を飼うのをためらっている方、海外赴任で犬を飼えないと思ってらっしゃる方、「預かり」って手があります。是非お近くの保護団体にお問い合わせください。
今日本で犬を飼っている世帯の数は約800万。このうちのわずか0.4%のお家が保護犬を迎え入れてくれることが出来れば、日本中の保健所が空っぽになります。
こうしてみると、決して不可能ではないと思うんですよね。

(41期:牧野明久)

六甲伯友会の思い出

六甲伯友会8期生(昭和26年3月卒業)の山田康之です。会員名簿の24ページに私の名前が出ております。

当時は武宮隼人校長先生で増田伊太郎先生などおられ戦時中ならびに敗戦後の動乱期に旧制六甲中学に入学し、新制の六甲高等学校を卒業いたしました。日本自身が本当に混乱の中、私は六甲学院にて良い精神教育と勉学に勤しむことが出来た事は幸いでありました。

私の父は山田祥三と申しまして、当時旧制六甲中学校の図画の教師をいたしておりました。六甲伯友会会員名簿(2016年度版)13ページの逝去者の中に出ております。私の父は日本画の教師でして、上沼俊次先生が洋画の教師でした。その頃、父が描いた葡萄棚の絵が毎日新聞社賞を得まして六甲高等学校に寄付した記憶があります。

私は六甲高等学校卒業後、京都大学農学部に進みその後、ミシガン州立大学にフルブライト研究生として渡米、帰国後京大教授を経て、国立奈良先端科学技術大学の学長で定年に至りました。その後、社会福祉のための仕事をいたしております。

研究の方は良き共同研究者に恵まれ日本学士院賞を頂き、さらに米国立科学アカデミーとスエーデン王立科学協会の外国人会員にも選ばれ、平成24年文化勲章受章者に選ばれました。(奈良先端科学技術大学院大学山田康之ホームページ参照)これらは全て六甲の基礎教育と負けじ魂の結果として、感謝しております。京大教授の時に武宮校長先生から在校生に話をしてくださいということで、参ったことなど夢のように思い出されます。

現在は85歳になりあまり遠方に出歩くことも困難となりましたが、六甲学院の益々の発展を遠くから見守り、祈っております。高齢になり厳しく育てられた六甲精神を今も思い出しつつ、懐かしい六甲高等学校について書かせていただきました。

フリン先生を偲ぶ会 報告

2017年2月12日(日)に四谷イグナチオ教会で行ったフリン先生を偲ぶ会(8周年)の報告をします。

昨年、一昨年と同様、地下のクリプタで35期の英神父司式追悼ミサに与り、お墓参りをしました。その後、祭壇のフリン先生の写真を囲んで全員写真を撮りました。今年は、福岡の泰星学園(現上智福岡)の教え子家族も一緒にミサに与りました。

その後、中華料理店(京華園)で懇親会をしました。今年は少し趣向を変えて、各期なるべくバラバラに座って交流をし、途中各期1~2名にフリン先生の思い出話をしてもらいました。ゴルフ観戦やオートバイの話など、フリン先生の清貧のイメージとは少し違った一面が紹介されました。最後に校歌を歌って解散しました。

懇親会の参加者は合計25名でした。(ミサのみ参加は3名)
17期  1名
23期 10名(懇親会9名)
29期  4名
35期 13名(懇親会11名)

文責:23期 大谷 秀二

2017年7月22日に実施しました第3回フリン先生を偲ぶ会(関西)について報告します。まず、恒例となったフリン先生記念館などの掃除を行いました。

今回は、英会話の教材であったオープンリールのテープを新たに展示に追加しました。引き続いて、古泉校長による新校舎の見学会を実施しました。

校長からでないと聞けない解説をして頂きました。続いて、東京からお招きした井上潔先生により、フリン先生を偲ぶ御ミサを執り行っていただきました。

最後は、三宮に移動し、居酒屋「きむら猫」にて、フリン先生の思い出話しに花を咲かせました。懇親会には、井上先生、古泉校長をはじめ、23期1名、35期4名、41期2名、29期8名の合計17名の方々が参加しました。

来年は、もう少し涼しい時期に開催するようにしますので、是非とも、ご参加をお願いします。 

29期 幹事一同(文責:松本 宏)

フリン先生を偲ぶ会(東京、神戸)実施報告

2016年2月7日(日)、四谷イグナチオ教会でフリン先生7周年の会を行いました。昨年と同様、地下のクリプタで35期の英神父司式追悼ミサに与り、お墓参りをしました。その後、祭壇のフリン先生の写真を囲んで全員写真を撮りました。ミサ中、写真の横にガリ版刷り初代プログレス(17期小島さんご提供)と、製本されたプログレス(35期ご提供)を置きました。(これらのプログレスは、六甲学院内のフリン先生記念館に展示されます)29期渡邉さんのご母堂と妹さん(聖心会シスター)も一緒にミサに与りました。その後、中華料理店(京華園)で懇親会をしました。関西から参加された29期藤井則雄さん、松本宏さんより、フリン先生の写真や肖像画の抽選や展示室の話などをしていただき、大変盛り上がりました。懇親会の参加者は合計21名(23期 5名、29期 5名、35期 11名)でした。

東京

2016年6月25日(土)、第2回の関西でのフリン先生を偲ぶ会を母校の別館(フリン先生記念館、お御堂)、及び、三宮のしゃぶ禅(懇親会)にて行いました。まず、雨漏りしていたフリン先生記念館の掃除から始まり、床拭き、トイレ掃除、新たに使用許可がおりたバックヤードの掃除、新たに設置したショーケースへのプログレス全シリーズの展示までを実施しました。次いで、お御堂にて東京からおいでいただいた井上潔神父様にフリン先生を偲ぶごミサをあげていただきました。また、しゃぶ禅での懇親会の参加者は16名(井上先生、17期 2名、23期 2名、29期 8名、41期 3名)でした。 懇親会では、各人よりフリン先生の思い出やエピソードを語って頂きました。井上先生には上野にある教会での活動について、お話しを頂きました。

フリン先生を偲ぶ会(神戸)_懇親会5155

来年も、2月初旬に東京で、6月下旬に神戸で開催します。各期の世話役の皆様には、引き続き、お世話になります。よろしくお願いします。

文責:23期 大谷 秀二(東京)、29期 松本 宏(神戸)

オーストラリア紀行-メルボルン編

1999年12月31日の夜行便でシドニーに飛び立ったのがオーストラリア行きの初めでした。この日はミレニアムを迎える時で世界中のコンピューターに異変が起こるかも知れないとのうわさが広まり飛行機利用者が激減し、そのおかげで我が便もガラガラでした。そして予定通りの到着でコンピューターへの信頼性が高まった感じを受けました。

さて、この時はシドニーに数日の滞在後、レンタカーでキャンベラ経由でメルボルンへ行き1週間ほど滞在しました。ということで今回はメルボルンについてお話しましょう。

この町はなんと言っても緑豊かな町で、ガーデンシティと呼ばれています。メルボルン市内の80パーセントを緑地が占めており、大小450もの公園やガーデンが点在しています。どの公園も手入れが行き届いており行政が力を入れていることがわかります。しかし、緑豊かな公園でも日本の公園のように遊戯器具は殆どありません。それでも週末には多くの家族がバーベキューや昼寝を楽しんでいます。そして園内の電熱式のバーベキュースタンド(ストーブ)は無料で使えます。

ロイヤルボタニックガーデン

そうそう、もうひとつ無料のものがあります。市内中心部を長方形型に巡回する市電(トラム)です。トラムは運転手のみで自由に乗り降りが出来、切符のチェックは車内の検札機のみです。故に無賃乗車もあり得ます。最新の情報では中心部を走るとラムすべてが2015年1月1日より無料になったということです。

トラム(市電というより広告塔?)

市内は長年イギリスの統治下にあったためイギリス風の建物が多く、クラシックな落ち着いた雰囲気が漂っています。特に英国聖公会、カトリック教会の聖堂は圧倒的な威容を見せています。さらに大きな特徴として、人口の半分近くがオーストラリア国外で生まれたか国外で生まれた親を持ち、230以上の言語や方言が話されています。つまり移民多国籍の都市ですので人種差別がまったくありません。

聖パトリック大聖堂

この点でも世界で一番住みやすい街と言われる所以と言えるでしょう。

その住み易さの表れかも知れませんが服装です。服装の基本はTシャツ、ショートパンツにビーチサンダルの超軽装ですがレストラン、ホテルどころか教会のミサもOKです。少々寒い日が来ても明日は暖かくなるだろうからとセーターは着ません。ただし冬のメルボルンは南極からの風が吹きますのでかなり寒く、やむなくコートは着ます。

スポーツにおいては、全豪オープンテニス、F1レース、メルボルンカップ(競馬)の開催地で知られています。特にF1レースは市内のアルバートパーク内の湖の周回路で行われます。レース日以外はパブリックゴルフ場やピクニックやサイクリング公園で、全く違う目的で利用する感覚がオーストラリア的といえるのかも知れません。周回路は通常は一般の車道で、すぐ脇にはフェンスの無いゴルフ場のティーグラウンドがあります。フックやスライスボールは危険この上ありません。それでも平然とプレーするオーストラリア人、大らかさかも知れません。

チャイナタウン

メルボルンのもうひとつの顔は食の町、「食都」です。とにかく世界中の民族が暮らしているのですから世界中の食事が出来ます。イタリア、中国、ベトナム、インドレストランは多くどの店も美味しいです。特に各国の居留地にあるレストランでは本国以上と言われています。
最後に、メルボルンの年末カウントダウンの花火の豪華さです。1月1日0時にはダウンタウンの5,6箇所の高層ビルの屋上から一斉に花火が打ち上げられます。花火は地上から天に上がるものと思っていましたが、ここではビルの屋上から大砲のように真横に打ち出されます。 中心部の橋の上からは360度どこを仰いでも寸断の無い花火だらけです。とにかくすさまじい発射のため15分で玉は尽きてしまい、あっという間の天空ショウです。

ところで、最近の新婚旅行といえばハワイ、しかし10年以上前はオーストラリアのゴールドコーストでした。この変化の正確な理由はわかりませんが、たぶん為替レートと言葉のためでしょう。ワイキキの殆どのレストランには日本語のメニューがありますがオーストラリアでは和食店以外では見たことがありません。更に服飾のブランド店も少なく日本人好みではないのかもしれません。当然ハワイのほうが行きやすいということが言えます。

美食と安くておいしいワイン、緑の中でのんびり過ごす時間を楽しみたい人にとっては最高の町でしょう。