「ロバート・フリン ーあるカトリック神父の足跡ー」を掲載
六甲伯友会の歴史資料集に「ロバート・フリン ーあるカトリック神父の足跡ー」を、【恩師・回想・追悼等】に追加しました。
六甲伯友会のオフィシャルサイトです。
六甲伯友会の歴史資料集に「ロバート・フリン ーあるカトリック神父の足跡ー」を、【恩師・回想・追悼等】に追加しました。
2024年懇親会は56期のみなさんが幹事となり開催されます。
2024年懇親会は下記の通りです。
日時:2024/4/14(日) ※時間は追って別途お知らせします。
場所:神戸ポートピアホテル ※詳細は追って別途お知らせします。
また、懇親会の実行委員会メンバーが決定しました。
メンバーは下記の通りです。
代表:小松原 崇文(こまつばら たかふみ)
企画:寺川貴也(てらかわたかや)、桑田隆行(くわたたかゆき)、北野晃裕(きたのあきひろ)
会計:椋野宏保(むくのひろやす)
会場:甲斐健盛(かいけんじょう)
広報:大崎広貴(おおさきひろき)
関東:松尾浩順(まつおひろむね)
みなさま是非来年4/14は懇親会でお会いしましょう!
同期(33期)の最も尊敬する親友の一人に宗清裕之がいる。あいうえお順で名前が近いので中一のクラスで席が近く、オリエンテーションの初日から仲良くなった。中学時代から洋楽好きで、シルヴィ・バルタンに恋をしたかと思えばいつの間にかシカゴやディープ・パープルにはまっていったハードロック大好き少年。心優しく誰からも好かれるオチャラケの人気者だった。学校に内緒でよく大阪フェスティバルホールや厚生年金会館にも出かけて行っていたようだ。高校時代組んでいたバンドではキーボードを奏でたが、ドラム・ギター・ベースも器用にこなした(本人は否定しているが)。彼のロック愛は冷めることなく、早稲田大学卒業後当然の如く(と私は思っていた)レコード会社に就職した。新人時代は確か当時の人気アイドル河合奈保子の担当プロモーターで、正直とても羨ましかったのを思い出す。転職先のレコード会社では演歌の大御所にも可愛がられた。しかし彼が本当に愛した音楽はやはりハードロックだった。社会人としてのファーストステージ五千日をかけて日陰的存在だった日本のロックシーンを制作現場から支え、牽引し続けた。
そんな宗清が回顧録を出した。題して『スタジオが燃えている』。言わずと知れたイエローモンキーの名曲「太陽が燃えている」をオマージュしたタイトルだ。日本コロムビア時代の活躍を中心とする330ページに及ぶ大作。彼の音楽人生前半の集大成。生い立ちから六甲・早稲田の学生時代、販売プロモーターから制作ディレクター・プロデューサーへ、言うことを聞かないアーティスト達、業界での様々な葛藤等々を赤裸々に綴った酒と汗と涙のストーリー。よく泣く男である。
彼が苦楽を共にし育て上げた代表的なアーティストは、ラウドネス、レッドウォーリアーズ、イエローモンキーといった面々。40代50代のロックファンなら誰もがご存じの筈。ロックに馴染みのない方でもバラエティー番組によく出演しているダイヤモンドユカイがレッドウォーリアーズのリードヴォーカルと聞けばお分かりになるだろう。イエローモンキーは数年前に紅白歌合戦にも出演している。俳優及川光博をロック歌手にしたのも宗清だ。
常に理想を求めたがるアーティスト達と、利益追求を宿命とするレコード会社との板挟みに喘ぎ続けたが、一貫していたのはバンドメンバーの一員になって仲間を理解し苦楽を共にしようと懸命にもがく姿だ。
この本に記されている、LAでのイギリス人プロデューサーの録音手法に対する驚き・戸惑い・反発、しかしまたそこから世界の最先端技術を必死に吸収する貪欲さ、そして「レコーディングを通してバンドは上手くなる」という信念、「日本語の曲を聴く人にとって、最後に行きつくところは歌詞だ」というこだわり、「過去の音楽へのリスペクト」も強く心に残る。
解散したり移籍していくアーティスト達との別れ・虚しさ・わだかまり・責任・後悔は読んでいて切ない。しかし彼の心底に流れるものは去り行く一人一人へのシンパシーと、共に成長していこうという願いだ。そこには六甲時代から少しも変わっていない宗清がいた。だから彼らはたとえ袂を分けた後でも宗清の下に集まってくる。生きる世界は違うが私もその一人でありたいと願う。
この本は今まで宗清裕之に関わってきた音楽人たちへのオマージュに溢れた一冊だ。
(33期 山口明彦 記)
現役生インタビュー(2023/8/26)
9/23(土)11時~15時半・9/24(日)9時~15時に六甲学院にて文化祭が開催されます。
文化祭役員三役の4名の高校2年生現役生にインタビューをしてきました。
(左から副委員長月城君・委員長藤橋君・副委員長建部君・書記佐藤君)
文化祭でやろうとしていることを中心に語って頂きました。
テーマは「GLANZ」ドイツ語で「輝き・栄光」という意味で、投票で決めたそうです。
一人一人が輝いて、みんなで文化祭を輝かせようという気持ちが込められています。
ロゴのデザインは美術部の高校2年生萱村君が担当されているとのことで、
星のような輝きを表すマークが「六」の形になっているというのは驚きました。
カッコよさ・造形力に加えてデザインとコンセプトが一体となっていてすごいセンス感じますよね。
「GLANZ」のデザインのグッツを文化祭で販売するそうなので是非ゲットして下さい。
数年間コロナ禍で出来なかった飲食店(模喫というらしいです)も復活するそうです。
5店舗出店するそうで、各店舗売上2000品を目標に掲げ、「学校の食堂を超える」ということで、
味の研究に力を入れているそうです。是非お立ち寄り下さい。
体育祭もTV放映されまして脚光を浴びましたが、文化祭も彼らは一丸となって準備に頑張っているのが
伝わってきました。
特に六甲OBの方々のご参加人数が例年少ないようですので、
同期の方々達とご一緒に母校を訪れてはいかがでしょうか?
現役生のキラキラした輝き「GLANZ」を感じることが出来るのではないでしょうか。
「GLANZ」ホームページ→http://www.st.rokko.ed.jp/festival/cultural/2023/
Twitter・インスタグラムページも上記HPのリンクがありますので、
そちらも是非ご確認・フォローをお願いします。
文化祭三役の高校2年生の彼ら4名へのインタビューでは、「GLANZ」の通りキラキラとした輝きが印象的でした。
希望に溢れ、目の前の文化祭を成功させるべく、創意工夫奮闘している姿には
感動を覚え、自分も何かやってやろうという気持ちになりました。
詳しい内容は今年の伯友秋号にて特集でインタビュー内容を掲載します。
文化祭の事だけではなく、六甲の事、将来の事などにも触れて聞いています。そちらも是非ご覧下さい。
最後に、彼らの便番への熱量はすさまじかったです。上裸と短パン裸足への回帰を願っているようです。
六甲精神は不滅です(笑) (50期藤枝 記)
初回放送日: 2023年8月12日 23時30分~0時00分 NHK総合にて放送
六甲学院の伝統「総行進」が女優上白石萌音さん語りによりTV放映されます。是非お見逃しなく!
決して忘れることのない青春のひとときを見つめる青春応援
ドキュメント。今回は兵庫県・六甲学院中学・高等学校の体育祭伝統「総行進」。10代が本気で挑む汗と涙の日々! 決して忘れることのない瞬間を見つめる青春応援ドキュメント「青春100K」。今回は兵庫県・六甲学院中学・高等学校の体育祭伝統「総行進」に密着!▽大迫力!総勢1000人の大行進▽6列交差に図形・幾何学模様…行進が描く美しさに注目!▽足並みをどう揃える?中1から高3までをまとめる実行役員たちの試行錯誤の日々▽変えるべきか?守るべきか?伝統と改革のはざま▽10代が本気で挑む汗と涙の日々▽語り:上白石萌音
コロナ禍の令和2年の夏に、シンガポール、日本、
2023年8月5日(土)、軟式庭球部OB会による『稲垣先生の卒寿をお祝いする会』を開催いたしました。軟式庭球部は近年人数減少により休部となっていますが、稲垣先生にお世話になった30期代~40期代を中心に年に1~2回のOB会を継続して実施しております。ここ数年はコロナ禍の影響により開催できておりませんでしたが、今回稲垣先生の卒寿のお祝いを開催させていただくこととなりました。
当日昼間の猛暑の中でのテニスでは、33期~50期までの壮年のOB達が名(迷?)プレーを披露し、稲垣先生にもテニスを観戦いただきながら当時の思い出話などをお聞かせいただきました。
また、夕刻からは33名というOB会史上最多人数によるお祝い会を開催。各期のOBから当時の思い出話を披露しつつの祝辞や稲垣先生から怒られた話など、あっという間の2時間半でした。
稲垣先生は御年91歳になられますが、非常に元気。会の最後にはスピーチをいただきました。参加したOBの思い出話では当時の情景をありありと思い出させるような面白いお話しをいただき、最後は『次は白寿(はくじゅ)を飛び越して百十(ひゃくじゅう)まで頑張ります!』との力強いお言葉で締められ、場が大いに盛り上がりました。
残念ながら軟式庭球部からは新しいOBが出て参りませんが、テニスは歳をとっても続けることができる生涯スポーツですので、今後もテニス+宴会という伝統のOB会の形式を保ちながら、稲垣先生に負けないよういつまでも元気でい続けたいと皆で誓いあったOB会でした。
稲垣先生、いつまでもお元気で!そして白寿、百十と先生をお祝いさせてくださいね。
(50期 青田雄弘)
六甲伯友会事務局の夏季休暇は下記の期間になります。
8月7日(月)~8月18日(金)
よろしくお願い致します。
2023年度 第1回目 6/14 伯友会ジュニア@三宮
伯友会ジュニア第1回目は三宮のお好み焼き「てつ」にて開催しました。
49期小林紀方先輩、50期青田・大谷・東田・善野・山本・藤枝の参加で、
2次会からは59期金君も参加いただき、昔ばなしから六甲OBによる在校生サポート(修学旅行・海外研修・国内での職場訪問研修)の話、男の子を持つ親たちは最近の中学受験事情の話、我々にとっての六甲とは?等々話は尽きず、2次会につながっていきました。後ろ髪引かれる思いで終電に飛び乗りました。
伯友会ジュニアという歳でも無くなりつつあり、間もなく50歳という年齢で伯友会ジュニアを任されているのですが、後輩をもっと呼び込まないといけないねと、まじめに反省する場面もあったおじさん達でありました;
2023年度 第2回目 7/8(土) 伯友会ジュニア@水道筋
本日は六甲伯友会幹事会でありました。その裏時間からこの伯友会ジュニア第2回は宴が始まっておりました。幹事会出席組の中には坂を駆け下り宴に参加しました。
場所は阪急王子公園駅から徒歩10分くらいの水道筋のど真ん中、「エニシバ」というイタリアンバルという感じのコンパクトなお店でした。そこにおっさんの団体様が所狭しに座り、熱い話をしておりました。
オテルド摩耶の総料理長のお店というだけあって、出てくるお料理はどれも非常においしく、おっさんたちにはもったいないお料理の数々でした。
ちょっと見つけにくい所ですが、一度足を運ばれてはいかがでしょうか?
上記の人数以下でないと入れませんが;
さて、参加者はと言いますと、再びのご参加49期小林紀方先輩、50期藤原・青田・山本・梶木・藤枝、55期水口君、56期小松原君・寺川君・椋野君、66期荒木君も参加してくれて、久々に伯友会ジュニア的な感じで若さを感じました。
これだけ人数がいるとそれぞれ3人4人ずつでの会話になり、メインは来年の56期幹事の懇親会の話題でした。50期はすぐ六甲大祭りのときは。。。というのが口癖なのできついところもあったと思いますが、先輩としてはフレッシュな後輩に失敗して欲しくないという老婆心というか爺心で一杯、後輩本人たちは何とかなるだろうという感じを思っている、そんな絵面ではなかったかと思います。来年はポートピアホテルでの開催ということで幹事たちへの負担は軽くなるのかなと思われます。ただ、何かとお節介焼きの先輩としては、何かやってあげたくなる、そんな一幕でした。おいしい料理に楽しい話に先輩後輩と一つの目標に向かって何かをやって行く、こんな幸せなひとときがあるでしょうか。次の代は57期、58期・・・その辺りまで徐々に加わって欲しいと願う、ぎりぎり伯友会ジュニアの一六甲OBの願いであります。
さぁ、第1回・第2回と連続して開催しまして、第3回の日程が気になる所でございます。またぎりぎり伯友会ジュニアの50期中心に、近々開催したいということで、お楽しみにして下さい!是非ご参加ください! (山本・藤枝記)
「医師として、外交官として、海外で働く ~六甲中学・高校で学んでおいてよかったこと もっと勉強しておけばよかったこと~」
7月11日(火)、期末試験の答案返却授業後、全校生がザビエル記念講堂に集まりました。壇上には46期卒業生の後藤浩也氏。自衛隊で医官として活躍され、現在は外務省医務官として在ジブチ大使館で勤務。今春、スーダンからの邦人待避に際して、健康管理・調整活動に携わりました。このときの報道映像に後藤さんが登場したことがきっかけとなり、緊急講演会が企画されました。
後藤さんの夢は医師と外交官でした。通常、このふたつは全く違う職種と思われますが、現在後藤さんは外交官パスポートを持つ医師として活躍しています。後藤さんの夢はどのようにして実現したのでしょうか。
後藤さんは東大をめざすも失敗、防衛医大を経て、医官として自衛隊に入隊。アメリカに派遣されて医師として研鑽を積むとともに、米軍司令部でも勤務しました。2010年のハイチ地震に際しては、南部マイアミで、自衛隊緊急援助隊の連絡調整にあたり、翌2011年の東日本大震災では、米軍による「トモダチ作戦」受入れに際し、調整役を務めました。そして2022年外務省に移り、在ジブチ大使館医務官として現在に至ります。このような後藤さんの経歴をみると、豊富な海外経験や対外調整活動の実績が、二兎を追う夢の実現につながったといえるでしょう。
ジブチは海外で自衛隊の拠点がある唯一の国ですが、他に数カ国の軍隊が駐屯し、共同で海賊対処行動を行っています。海賊といっても、漁船のような小舟で航行する巨大なタンカーに乗り付け、乗組員を人質にとって身代金を手に入れることが目的で、通常流血の惨事にはならないそうです。各国の軍隊の役目は、海賊船がタンカーに近づかないよう、空と海から監視することです。
外務省医務官としての後藤さんの仕事は、医務室での勤務(医療活動)、現地の医療事情把握(各国軍の医療関係者との情報交換や、近年拡大しているマラリアに関する情報収集など)、邦人保護(コロナの重症患者のチャーター機による搬送)です。これらの仕事すべてに、医療知識とコミュニケーション能力が必要だと、後藤さんは語ります。そしてその基礎を作ったのは、六甲の学びだったというのです。
まず六甲がカトリックのミッションスクールであること。海外では宗教色を帯びた儀式に参列する機会があるけれども、その際に相手の気分を害さない配慮ができることは、立派なコミュニケーション能力であり、六甲でのミサ経験が役に立ったそうです。また古文・漢文は異文化理解に役立ち、現代国語や数学は論理的思考につながったとのこと。化学の知識は、後藤さんの専門である眼科で役立ち、六甲であまり勉強しなかった物理も、光学器機を理解するために、学び直したそうです。また英語、特に文法の知識は、現在のフランス語学習に大いに役立っており、地学の知識は、ジブチの風土(アフリカ大地溝帯や塩湖など)の理解に資するところが大きかった・・・。六甲の学びが、後藤さんにとっていかに有用で大事なものだったかを強調なさいました。そしてみなさんも六甲でよく学び夢を実現してほしいと、後輩たちにエールを送ってくださいました。
これほど興味深い講演会は初めてだと、終了後の交流会に駆けつけた生徒がいました。大きな身体と大きな声で、気さくに後輩たちに語りかける後藤さんの姿は大変印象的で、後藤さんの背中を追って、医療や外交の道に進む生徒が現れるかもしれません。
(40期 山岸禎一)