映画のご紹介(38期秋山純さん監督作品)
<石光先生より頂いた情報です>
2025年11月28日封切りの映画『栄光のバックホーム』は、私の最初の教え子、38期秋山純君の第1回監督作品です。
https://gaga.ne.jp/eikounobackhome/
日本各地で上映後の舞台挨拶に、出演者と共に秋山君も登壇するとのことです。
27期大森君、31期黒沢君のように、質の高い作品で活躍してくれることを祈ります。

六甲伯友会のオフィシャルサイトです。
<石光先生より頂いた情報です>
2025年11月28日封切りの映画『栄光のバックホーム』は、私の最初の教え子、38期秋山純君の第1回監督作品です。
https://gaga.ne.jp/eikounobackhome/
日本各地で上映後の舞台挨拶に、出演者と共に秋山君も登壇するとのことです。
27期大森君、31期黒沢君のように、質の高い作品で活躍してくれることを祈ります。

日時:2025年11月8日(土)
出席者:
23期 莵原良治
29期 高橋淳 八木一郎 松本宏 藤井則雄
35期 井住哲司 酒井俊弘 澤田俊 廣井由紀夫 堀口和弘 松田時彦 村上孝之
58期 清水彰(伯友会総会への勧誘幹事)
中央の人は35期酒井司教様です。
懇親会では、58期の清水 彰さんに、わざわざ東京から神戸に来て頂き、来年の総会参加への呼びかけをして頂きました。

「我々がフリン先生と出会ったのは、12歳の春だった。
あの密度の濃い6年の日々が、我々の精神を作り、血となり肉となったのは間違いない。
六甲学院の教え子である17、23、29、35、41期生、そして泰星の41期生は、フリン教(狂)の信者であると言っても過言ではない。」
17期の期の福田信三先輩が代表になって発行して下さった「ロバート・フリン」の本を読む度に、胸が熱くなって涙がこぼれ、そこから先が読めなくなってしまう。
そんな6期に及ぶ教え子が集まってフリン先生の追悼ミサを六甲学院別館のお御堂であげるようになって8回目を迎えました。
35期の酒井司教様に司式頂くちょっと贅沢な追悼ミサでした。
11月7日は、天気に恵まれ東京から分骨したフリン先生の神戸のお墓参りもつつがなく開催できました。
いつかは、この会を母体にして外の社会に向けて役にたつ事が出来たらいいなと思います。
日頃やんちゃの限りを尽くすOB生が、この日ばかりは、ちょっぴり良い子になった気がしました。
(文責:29期 藤井 則雄)

各期合同のフリン先生を偲ぶ会を開催します。今年で第7回目になります。
今年は六甲17期、23期、29期、35期、41期に、初めて福岡の泰星41期生 (現:上智福岡中学校)もお招きします。
昨年同様、35期 英司祭をお招きして、各期合同での遺品見学、御ミサ、偲ぶ会 (懇親会)を開催します。
1.集合日時:2024年11月02日(土)14時30分
2.集合場所:母校 別館(お御堂)
3.掃除と見学 14時30分~15時30分
母校 別館のお御堂、及び、同館のフリン先生記念室の掃除、及び、 遺品等の展示・見学を実施(掃除の出来る服装で来訪下さい。)掃除道具は、事前に準備して おきます。
掃除(30分以内)終了後に、フリン先生の遺品を見学して頂きます。
4.御ミサ 15時30分~16時20分
お御堂にて、フリン先生を偲ぶ御ミサ
5.移動 16時20分~17時 15分移動(阪急三宮駅まで)
6.懇親会 17時15分~19時15分頃
店 :燦(SUN)神戸店 神戸交通センタービル10F
三宮各駅直近 078-331-1233
懇親会費:6,000円/人(コース料理、2時間飲み放題、税込み)
7.参加申し込み 下記の何れかに参加希望の方は、速やかに、下記に記入後、広報担当 29期松本 宏 ma2motohr4@gmail.comまで9月30日(月)までに送信して下さい。よろしくお願いします。
a.別館のお御堂、及び、フリン先生祈念館の掃除・見学に、
出席 または 欠席(どちらか一つを残して下さい)
b.フリン先生を偲ぶ御ミサに
出席 または 欠席(どちらか一つを残して下さい)
c.三宮での懇親会に
出席 または 欠席(どちらか一つを残して下さい)
フリン先生を偲ぶ会 29期 幹事
発起人 藤井 則雄
渉外担当 畠中 信彰
御ミサ担当 真弓 孝弘
懇親会担当 松本 宏
広報担当 松本 宏 ma2motohr4@gmail.com

UVA Medical Center office にて(2023)

グアテマラで最も乳幼児死亡率の高いマヤの子供の健康プロジェクトに参加(2006)

アフリカマラウィの病院で病棟回診(2018)

研修医に外科手技を教える時は豚を使う(2007)
卒業後初めてメールさせていただきます。36期の森川雅浩です。
先日初めて伯友会のサイトを拝見し、懐かしい名前や写真を見つけ
私は東京医大を卒業後、日本医科大救命救急センター、亀田総合病
私が日々診療する米国の医療現場はいろいろと問題が山積みですが
米国社会には定年がなく、自分が働きたいと思うだけ現役でいるこ
私が現在いるCharlottesvilleはBlue Ridge Mountains(John Denverが、 “Country Road” という曲でalmost heavenと歌った山々)の麓に位置する風光明媚な大学街です
米国での時間の方が日本にいた時間よりも長くなってしまい、同じ
それでは長くなりましたが伯友会、伯医会諸氏のご活躍と健康を祈
お元気で
MORI
森川雅浩(36期)

2024年2月4日 11時から四ツ谷イグナチオ教会地下墓地にて
28期瀬本神父様の司式で「フリン先生を偲ぶ会」のミサを無事行う事が出来ました。
23期、29期、35期、41期で総勢32名の会となりました。
今後の予定
2024年11月2日(土曜日) 14:30 六甲学院別館にて35期英神父様の司式でミサを行います。
2025年 2月8日(土曜日) 11:00 四ツ谷イグナチオ教会地下墓地で28期瀬本神父様司式でミサを行う予定です。(文責 29期 藤井則雄)

開催日:2023年7月22日
17期、29期、35期、50期の総勢22名ご参加頂きました。
六甲学院別館の聖堂にて35期酒井副司教様、英神父様の司式で御
コロナ下で永く集まる事が出来ませんでしたが、ようやく開催に漕
自然発生的に産まれたこの会が自主的な多くの幹事様達によって運
次のフリン先生を偲ぶ会は
2024年 2月 4日(日曜日) 11:00
四ツ谷 イグナチオ教会 地下クリプタ にて
井上 潔 神父様に御ミサの司式をして頂きます。
関東地区代表
幹事は23期大谷様
夜の宴会の部の幹事は35期津吉様
(29期藤井則雄)
去る2月22日、大阪梅田の新阪急ホテルにて、吉村信夫先生を慕う有志が集い、「吉村先生ご退職記念の会」を開催いたしました。
吉村先生は北海道札幌市のご出身、上智大学をご卒業後、社会科の教員として六甲に39年間奉職され、本年3月をもって惜しまれつつご退任なさいました。カトリックの信者でもあり、在任中は教鞭を執る傍ら、「人生教育」の一環として在学生向けに「人生探検部」(通称、『人探(じんたん)』)、保護者向けには「保護者のためのカトリック研究会」などを主催されました。特に前者は、42期から79期まで参加者数は200名以上にのぼり、先生の薫陶を受けた生徒は数多く、各界で活躍しています。また、人探参加者ならずとも、先生の授業開始時の「よし、はじめましょう。はいどーも、」や、「お~まえさ、」、「だ~まれだまれだまれだ~まれ~、」など、独特な節回しを今も覚えているOB諸氏も多いのではないでしょうか。
当日は本会に先立ち、16時半より、東京からお越しになった外川直見神父(14期・第4代六甲校長)と山内保憲神父(49期)の共同司式により、一部在校生も参加しての記念ミサが執り行われました。その後18時より、六甲校歌の斉唱とともに感謝会本会がスタート、外川元校長の挨拶に始まり、参加者代表として、太田匡彦氏(46期)・五百旗頭薫氏(49期)(ともに東京大学大学院法学政治学研究科教授)、三浦太郎氏(66期)(三井物産株式会社勤務)、佐伯壮一朗氏(73期)(大阪大学大学院医学研究科所属)の四氏によるスピーチ、吉村先生が定期的に説教を受け持たれている神戸新生バプテスト教会(御影)の代表者や、保護者のためのカトリック研究会の方による挨拶、加えてカンボジアの復興にご活躍中の44期坂野一生氏から寄せられた温かいメッセージの朗読など、約3時間にわたる大変盛大な会となりました。会の最後には吉村先生の奥様からの一言、お二人への花束・記念品の贈呈、そして先生のご子息らも壇上に招いてご家族の写真撮影も行われ、先生にとっても思い出深い日になったことと存じます。なお、本会にご参加いただいた方々は約100名で、六甲OBを中心に在職の先生方、生徒保護者、神戸新生バプテスト教会の皆様など多岐にわたりました。皆様にはこの場をお借りして深くお礼申し上げます。
吉村先生は当面の間、関西を拠点にキリスト教・カトリックの布教活動に引き続き携わられるとのことで、六甲退職は残念ですが、今後より一層のご活躍を祈念しております。
「吉村先生ご退職記念の会」
実行委員
42期 片岡 功一・藤原 和隆
58期 岡本 信秀
66期 荒木 建人
2019年9月3日~9日 20期 瀬川 滋
1.はじめに
山は、中高時代は放送部(現物理部)に所属していて六甲山に登る程度だったし、大学時代も殆ど登ることはなく、NEC就職後から始めた。NECと関連会社社長時代そして定年後勤めた太成学院大学(大阪・堺市)教授時代に休みを利用して山に登り、国内では日本百名山・日本二百名山・各県最高峰踏破等北は北海道・利尻岳から南は石垣島・於茂登岳まで数々の山に登ってきた。しかし海外ではヒマラヤトレッキング(エベレスト街道・アンナプルナ)、カナダ・ウィスラーへのスキー登山、東南アジア最高峰のマレーシア・ボルネオ島のキナバル山(4090m)、台湾では嘗ての日本最高峰の玉山(新高山,3952m)と二番目の雪山(次高山, 3886m)そして武陵四秀(品田山,3524m)に登った程度である。2018年の山仲間の集まりで、
最高齢だったので躊躇したが、即決断して手を上げ、今般登ってきたので、以下報告する。
2.キリマンジャロ(以下キリマと略す)
アフリカ最高峰。東アフリカ中部のタンザニアの北東部にあり、独立峰としては世界で最も高く、西から東へシラ峰(3962m)・キボ峰(5895m)・マウエンジ峰(5149m)が連なる。最高峰のキボ峰山頂には直径2.5kmのカルデラと、その内側に直径900m火口があり、最高地点はこの大火口の南縁にある。主な登山ルートとして以下のものがある。
3.出来上がった計画概要
4.手を挙げた登山メンバー
男子6・女子2名、平均年齢67歳。内2名は現役医師。山経験はそれなり5名、まあまあ3名。全員高山病・気温差(下は熱帯、頂上は-10~20°)・血圧への影響・体力・伝染病等高齢による懸念大。
5.高齢登山への対応
6.行程
9月1日(日):伊丹20:20発、羽田経由
9月2日(月) :ドーハ(カタール)経由キリマ空港14:00着、空港からモシのリンドリンロッジへ。
ガイドから登山のオリエンテーションを受ける。
9月3日(火) :Lemosho Gate(1800m)~Mti Mukbuba Camp (2650m), 6km
車で管理事務所に向かい、荷物の計量検査を受け、更に車でLemosho Gateに向う。同ゲート14:00発。熱帯雨林の中を、日本とは違う高山植物を楽しみながら猿の沢山いるMukbuba Camp16:45着。既にテントが設立されており、運んで貰った荷物をポーターから受取って宿泊準備後、夕食。
9月4日(水) :~Shira2Camp (3850m),16km
8:00出発、樹林の中を植生の変化を楽しみながら歩く。樹林を脱すると視界が開け、広大なサバンナが広がり、その奥にキボ峰(キリマ本峰)の全容が姿を現す。13:30 Shira1Camp(3610m)着。途中車道(レスキュー用道路?)と交差。やがて日が沈み始め、キボ峰のアーベントロート(夕照)が美しい。19:00 Shira2Camp着
9月5日(木) :~Barranco Camp (3900m),8km
8:40出発。ゆっくりゆっくり登る。やがてメンバーの1名の歩きが怪しくなり、ガイド・リーダーより下山の宣告。止む無くガイド1名がつき昨日の車道まで下り、本人は車でモシのロッジへ。残る7名で登山。キボ峰が徐々に大きくなり、氷河の白さが浮き立ってきれい。大きな岩がランドマークのようにそびえ立つラバタワー(4642m)まで一旦登って700m下る。勿体ない。下り道にはジャイアントセネシアの林があり、こんな高山なのに林なんて考えられず大感慨。18:40 Barranco Camp着。
9月6日 (金) :~Karanga Capmp (4050m),5km
9:30に出発するとすぐに急壁を登る。一番の難所というがそんなに難しくない。12:10に4250mの峠に着き、今度は谷底まで下る。ジャイアントセネシオの群落が続き、タンザニアらしい世界が広がる。だらだら下って少し上ったら15:00 Karanga Capmp着。途中のアップダウンの繰返しがきつかった。夕方麓のモシの街の夜景が望められた。夜になるとキボ峰の黒に氷河の白が浮び上り、コントラストが美しい。見上げれば満点の星。オリオンは分ったが、見えるはずのサザンクロス(南十字星)がどうしても見つけられなかった。あ~あ、残念無念。
9月7日 (土):~Barafu Camp (4700m),4km
一部のポーターが別ルートで下山し全員揃うのは最後というので、スッタフ全員で労いのお別れダンスが始まる。我々も参加するが、息が切れて途中でギブアップ。彼らは強い。キャンプ場9:20発。道をだらだら登る。いよいよ頂上に手が届き、明日登る道も辿れる。キャンプ場としては最高地点のBarafu Camp 13:20着。狭い場所に沢山のテントがひしめき合い、岩場の隙間を選んで張られている。空気が薄くてトイレに行くのも苦しい。着いてすぐのミーティングで、「21:30頃軽い食事を取り23:00には出発」と告げられ、登頂の支度をして15:30頃から仮眠。
9月8 (日) :~頂上Stella Point(5756m),4km~Mweka Camp (3090m),12km
前夜23:00まばゆいばかりの星空の下、出発。先行するヘッドランプの光が延々と山頂に向かって続いている。見上げる程高い所にも明かりがあり、あそこまで行くのか~と気が遠くなる。最初は岩場で、暗闇の中、足下に気をつける必要があったが、間もなく砂地のジグザグ道。何も考えず一歩一歩進める。やがて朝焼けで辺りが明るくなってくる。6:00マウエンジ峰の向うからご来光。雲が多くあまりきれいでない。残念。歩けど歩けど変化のない登山道は精神的にきつい。空気が薄いためか5700m付近まで来ると、急に足が上がらなくなり、しんどいを実感。這う這うの体で5756mStella Pointに到着。標識にはCONGRATULATIONSとある。富士山を吉田コースで吉田口頂上(3710m)まで登ると富士山に登ったと言えるのと同様、ここまで登ると登頂証明が貰える。やったー!!正にその一言に尽きる。ここからアフリカ最高峰の頂上Uhuru Peakまではまだ1.5時間位かかる。ここまでの上りにリュックを担いで貰ったり、身体を支えて貰ったりしてやっと登った者もおり、とても頂上まで行けそうにない。そんなことでここでTheEndを決断。暫く登頂の感慨に耽ってからの下り。下り専用のザラザラの急斜面の砂道、前のめりになって転げ落ちそうになる。やっとのことで下り切った所に、バラフキャンプで待機のポーターがジュースを持って迎えに来てくれた。その旨かったこと、やっと活きた心地がした。キャンプで小休止の後の長い長い下り。途中にヘリポートが有り、所々に一輪車も置かれている。多分高山病等で歩けなくなった人のレスキュー用だろう。この日は風が強く、それで砂が舞い上がって目や喉が痒い。やがて亜熱帯林の中を歩くが、日が暮れて真っ暗。ライトを照らしても歩き辛い。20:00、やっとMweka Campに到着。この日は本当にきつかった。
9月9日 (月):~Mweka Gate (1680m),10km
7:30出発。少し下ると林道に出、歩き易くなる。11:10Mweka Gate到着。長い長い辛くて楽しかった登山もこれで終わりかと思うと胸がジーンとくる。下山届後、車で15:00にリンドリンロッジ着。先に下山して我々の到着を首を長くして待っていた者が顔をくしゃくしゃにして出迎えてくれた。1週間振りにシャワーを浴び、汗と埃と砂を流した後、久々の全員揃っての夕食。ビールの旨かったと、至福。
9月10日 (火)~9月13日 (金)
3つの国立公園でサファリ見学(詳細省略)
9月14 (土) ~16(月)
キリマ空港16:00発、ドーハ、成田、羽田経由、ささやかな打上げ会後伊丹空港16日8:25着
7.登山生活
8.登山者像
9.ポレポレ(スワヒリ語、SlowSlow)
10.スタッフ
11.気候
12.レスキュー
体制がしっかりしており、その費用は入山料に含まれている。場所により車かヘリコプターで下山させる(そのための林道とヘリポートが完備)。そこまで運ぶための一輪車(運ぶ人は大変だが、運ばれる人の負担が少いという)が随所に配置。保険は海外旅行保険で良く、山岳保険は不要。
13.おわりに
75歳でのキリマ登山、5700m超では、どこも痛くないのに今まで経験したことの無い苦しさを味わった。しかし高山病対策とはいえ、最も長く、美しいルートを歩き、キリマの様々な姿(アーベントロート、ご来光、白く浮かぶ氷河、4000m近くに広がるジャイアントセネシアの群落等々)が眺められ感無量。また登山人生最高地まで登れて感慨一入。1人アウトだったが残る7人が全員無事登頂出来て至福。そして最初から最後まで尽くしてくれたスタッフの気概、全てが最高だった。それにしてもイギリスが築いた登山文化が徹底されていることを改めて実感した山行でもあった。それと今回の登山を支えてくれた全ての人に感謝・感謝。それもこれも健康あってのこと、近所の山への毎日登山のお陰でもある。
2019年7月27日(土)に、母校のお御堂および別館106号室にて、フリン先生を偲ぶ会を開催しましたので、ご報告します。
今回も、東京から井上潔先生をお招きして、御ミサを執り行って頂きました。今年から別館106号室を「フリン先生メモリアル・ルーム」として、利用させて頂けることになり、そのお披露目も行いました。また、新たに寄贈されたCDプレーヤー(リピーター)を常設しましたので、フリン先生の声を聴くことが出来るようになりました。
ごミサへの出席者は、添付の写真の通り、井上先生をはじめ、35期2名
(大橋さん、津吉さん)、29期6名(金子、北村、高橋、藤井則雄、真弓、松本宏)の合計9名でした。
阪急六甲での懇親会には、井上先生、35期2名(澤田さん、津吉さん)、29期は入江、田原進が加わり、合計11名が出席しました。
来年は、フリン先生生誕100周年にあたるので、多数お集まり頂いて、お祝いをしたいと思います。
文責 29期 松本 宏
2019年2月17日(日)に四谷イグナチオ教会で行ったフリン先生しのぶ会(10周年)の報告をします。
今年も、地下のクリプタで35期の英神父司式追悼ミサに与り、ミサ後、祭壇のフリン先生の写真を囲んで全員写真を撮りました。
その後、先生のお墓参りをしました。ミサには34名が出席しました。その中に、泰星学園(現福岡上智)時代の教え子夫妻とご両親も含まれていました。
例年通り、中華料理店(京華園)で懇親会をしました。
今年は、各期毎に集まって懇談し、フリン先生の思い出話はあまり出ませんでしたが、全会一致して来年以降もしのぶ会を続けることになりました。
最後に校歌を歌って解散しました。
懇親会の参加者は合計32名でした。ミサのみ参加は3名
17期 1名、23期 13名(懇親会12名)、29期 6名、35期 14名(懇親会12名)、
41期 1名
文責:23期 大谷 秀二