第17回中部支部総会・懇親会

【出席者(敬称略)(期)】
<ご来賓>高橋校長
<出席者>伯友会藤本会長(33)、樋口副会長(39)、箕浦輝幸(19)、浦川龍男(21)、濱田誠剛(27)、
牧村行隆(33)、山森 康雄(34)、熊谷正樹(35)、山下雅司(36)、松本貴靖(60)、岩崎陽介(62)
<中部支部事務局> 井上 洋一支部長(33)、南 正治(35)、船越 真琴(36)、阪田哲史(59)、千代鶴洋平(66)
令和7年11月22日(土)、第17回中部支部総会が、中国料理王宮にて、昨年に引続き開催されました。
当日は、高橋校長先生をご来賓に迎え、伯友会から藤本会長と樋口副会長、元副会長の濱田さん、そして、中部支部から初参加の60期松本貴靖さんを含め総勢17名の方にご参加いただきました。
総会では、支部長の33期井上洋一さんのご挨拶に始まり、高橋校長先生や最年長の19期箕浦輝幸さんにご挨拶頂きましたが、皆様からは総じて、六甲学院の奉仕精神の大切さについてお話いただきました。
また、恒例により、一人ずつ近況報告を行いましたが、19期から66期までの幅広い層の方の様々なお話が聞け、少人数ならではのアットホームな雰囲気で楽しい一時を過ごすことができました。
また、総会後は、カラオケボックスでの2次会に、12名の方が参加いただき、自慢の喉を披露し合いました。中部地区は、会員数約200名と少ないですが、総会はとても活気があると来賓の皆様からも言われております。
今後も新たな参加者を募って、伯友会中部支部の輪を一層拡げていきたいと思いますので、多数のご参加をお待ちしております。(文責:35期 南 正治)
17期 同期会”いつもの会”
17期 同期会”いつもの会”

日 時:2025年11月28日(金)12時~
場 所:京鼎樓(ジンディンロウ)ミント神戸店
参加者:浅井、岩間、鈴木、反橋、高田、南谷、森(敬称略)、福田
欠席回答者:井上、小谷、瀬尾、平林(敬称略)
今年の3月25日以来の「いつもの会」を開催しました、
と言うか、無事開催出来ました。最も分かりやすい三宮駅前の
ビルを選んだのですが、何人かはかなり苦労して着いたようです。
それでも、80歳過ぎて集まれることは”マアマア元気”の証明と言えます。
随分久しぶりに岩間君が来られ、まだ現役とのことで驚きです。
皆さん高齢の割には元気そうですが体力的には歳相応で、口から出るのは
病気や介護の話しで持ち切りでした。ただ一人、浅井君はまだ信州の山に
出掛けるとの前向きの話がありました。
最後に、この会をいつまでやろうか?、の話しになり、
年に3回、出来る限りやろう、の結論でした。
理由は、”会えるだけでいい、話せることがいい”でした。
同期の意識って予想以上に強いなあと感じました。
次回は、来年の春過ぎを予定します。
追記:このメールは欠席届のあった方と今までいつもの会に出席経験の
ある方にも送信しました。(文責:17期 福田 信三)
13期同期会短信
13期同期会短信(令和7年11月29日)

開催日:2025年11月17日(月)
場所:神戸三宮 西村屋
参加者:古市・田嶋・樋上・塩野・村上・清水・三池・森田・五百旗頭・余田・中野・小島・友藤・瀧本(計14名)
前日まで曇天のうっとうしい日が続いていましたが、同期会開催当日は
打って変わって雲一つない、穏やかな秋晴れの日差しに恵まれました。
翌日からは一転冬型の寒い気候に様変わり、正に天与の一日でした。
関東組に配慮して開催時間を午後1時とやや遅い目に設定、それでも定刻までには14名、元気な顔が揃いました。
この歳になると開催日時のうっかり忘れが幹事としては心配の種の一つで、
前日にめぼしい人には確認の電話攻勢、「わかってるわい」なんていわれるんじゃないかとひやひやでしたが、誰もが「ご苦労さん。明日は楽しみにしてるよ」と返してくれてやれやれ。
当日は年齢を反映して酒量も落ちているかと思いきやとんでもない‼
落ちているのは聴力の方で、わずか14名の宴会にマイクを使う始末。
「耳は遠くなっても呑み助が長生きの秘訣か」と改めて考えさせられました。
3時過ぎには記念写真を撮って散会、そのままほとんどの人数が近くの喫茶店に移動して又1時間余り歓談、久し振りだったので皆別れ難かったのでしょう。その後次回を約して三々五々、杖をついたりのゆっくりした足取りでしたが皆元気に帰って行きました。
(文責:13期 中野 良夫)
32期卒後50周年同窓会ゴルフコンペ報告
32期卒後50周年同窓会ゴルフコンペ報告

2025年10月13日 (日) 明石ゴルフクラブ
out&inコース 7:53スタート 計:8組 30名
12日の同窓会の翌日早朝から、32期卒後50周年同窓会ゴルフコンペを行いました。
曇り時々小雨の少し蒸し暑い天候の中、30名(関東から6名)が参加しました。
ダブルペリアによるハンディでの順位で、
優勝 : 辻 45・43 計88 HD13.2 Net 74.8
準優勝: 多根 46・52 計98 HD22.8 Net 75.2
3位 : 山田 50・50 計100 HD24.0 Net 76.0
でした。
100を切ったのが、30名中12名で、以前なら半分以上の者が100を切っていたのを考えると
皆さん年を取ってきたのか、と思わせる結果でした。
同窓会の翌日で、話の続きもあって、和気あいあいのゴルフを楽しみました。
(文責:32期 西村)
32期卒後50周年同窓会
32期卒後50周年同窓会

卒後50周年の32期同窓会を10月12日(日)に三宮センタープラザ6階の「スペースアルファ三宮」にて行いました。
82名+Zoomでの参加者5名、恩師の先生3名(平井先生、稲垣先生90歳、岩井先生)、古泉前校長、訓育生28期豊田さん、岩崎さん(Zoomでの参加)で、現地参加者は87名でした。
13時開始で、・物故者9名への黙祷 ・恩師のご挨拶 ・古泉前校長のご挨拶 ・岩崎さんのZoomでのご挨拶・豊田さんの乾杯のご発声 ・第1回目の集合写真の撮影と進みその後、豪華お弁当での会食・歓談が開始されました。
・稲垣先生のご挨拶:六甲でのカルチャーショックは1時間目の最初の瞑目と2時間目に教科書を忘れた濱名君の正座でした。私も今は足腰が弱りましたが、他は元気です。最初に教えた思い出深い32期の同窓会なので出席しました。皆さんの顔と名前は一致しませんが、これからもお付き合いをよろしくお願いします。
・岩井先生のご挨拶:稲垣先生と同じ年に六甲に赴任し、同じ年に去りました。32期に六甲のしきたりを全部教えてもらった。今でも32期から同窓会に呼んでいただいて有難うございます。これからも長いおつきあいをお願いします。
・岩崎さんのご挨拶:50周年ご卒業おめでとうございます。最初に皆さんとお会いしたのは1969年、私が高2で皆さんは中1D組を担当しました。私が入学した1965年は武宮先生からシュワイツエル先生に校長が替わりました。そのころ社会的にも改革が盛んで、六甲でも風呂敷からカバンになるなど変革の時代でした。その中で皆さんが早く六甲になじむように訓育制度が始まったと思います。本日はおめでとうございます。
・古泉前校長より乾杯のご発声:30期の佐久間です。校長時代に話が短いので有名でした。ということで乾杯の挨拶をすることになったと思います。皆さん古稀が迫っていますが、本当にお若い。長丁場ですが、お医者さんもたくさんおられるので何かあればすぐに対応してもらえますね。では皆さんのご健康と六甲の100周年に向けて乾杯しましょう。「乾杯!」
宣伝ですが、武宮先生の本を出しました。初期の六甲学院が分かる本です。ぜひ読んでください。
・豊田さんのご挨拶:28期の豊田です。中1Cを担当しました。A組は瀬本、B組は加地、D組が先ほどの岩崎でした。六甲に入学された中1時代の皆さんは子供でしたね。六甲時代は身体も精神も成長する時でしたね。子供から大人になる大事な時期に一貫して学ぶ六甲は素晴らしい学校と思います。皆さんとは水泳のキャンプや廊下の掃除の監督、文化祭や体育祭での面倒を見たなどありましたが、六甲精神を学んだ6年間は人生の中でも大きな意味を持っていると思います。私は退職していますが、まだまだ人生は長く、これからも今までのことを活かして豊かな人生をみなさんも送ってください。
・平井先生のご挨拶:遅れてすみませんでした。皆さんの顔と名前が一致するように、卒業アルバムを出して調べてみましたが、38期のアルバムでした。皆さんを担任してもう50年以上になるのですが、昨日のことは忘れても50年前は覚えていて懐かしく思います。今日はよろしくお願いします。
一息ついたところで、鍵山君(六甲の元教師)による六甲学院の現状報告があり、その後、今回のメインである「各クラブの思い出話し」が始まりました。
・クラブ紹介:同窓会までに各クラブから、思い出話しの原稿を提出してもらい、卒業アルバムのクラブ写真と提出された原稿をスライドにして、ステージ上でクラブ毎に全員に出ていただいて、スピーチをしていただきました。以下のような、学生時代にお互いに知らなかった話も沢山あって多いに盛り上がりました。クラブ毎の話の途中で、2回目の集合写真の撮影を行い、続いて32期の代表として伯友会の副会長までしてくれた、近藤健君により学生時代から伯友会活動にかけての思い出話しもありました。我々の時代は大阪万博(千里)、ミュンヘンオリンピック、浅間山荘事件、アイドルは南沙織、天地真理、小柳ルミ子の時代で、その時代が思い出される楽しい会でした。
事前には、13時から17時の予定で長すぎるのではないかとの意見も出て、時間が持つのかどうか心配して
いたのですが、各クラブの話が沢山あって、最後は17:30に強制的に終了にしたぐらいで、多いに盛り上がりました。また、安田君が会を通してカメラマンとして皆を撮影して下さり、集合写真もプロ並の仕上がりに
してくれました。感謝、感謝です。
その後は、生田警察西隣の「フラットファイブ」へ場所を移して、51名の参加者で2次会を行いました。
定年退職の年齢を過ぎて、皆さん落ち着いて来たようで、昔を懐かしく語り合うことができました。
「各クラブの思い出話し」(抜粋)
バスケット部:*中3の夏の合宿。蒸し風呂状態の体育館で練習終わりに、目の前が真っ暗になり気が付いたら奇麗な花が咲き誇ったお花畑の中で寝ていて、すごく気持ちが良かった。皆が上から覗き込み「大丈夫か」と大声で叫んでいて、そこで意識が戻った話。*中学の時、カナディアンアカデミーに練習試合に行って、今で言う「チアガール」の応援を初めて見て驚いた話。*クラブの練習以外はサッカーばかりしていたら、佃先生に呼び出されて体育教官室で「サッカー部で俺が鍛えてやろうか?もっと一途にバスケやらんかい!」と1時間半、説教された話。
化学部:会計特権で化学マジックの薬品を購入し、化学マジックを文化祭で披露。1時間毎に実施、毎回階段教室は大入り満員(ポンネ先生、大はしゃぎ)。
剣道部:32期は部員が多く途中退部者も含めると20人以上で、後にも先にも剣道部の部員数では最多の学年でした。森田健作主演のテレビ番組「俺は男だ」の影響だった。公式戦では兵庫県私学大会で団体3位となり創部初めての賞状。崎本範士八段(剣道で最高位)は凄かった。
硬式テニス部:中学3年の時、近畿大会団体で準優勝。*松崎君は30期の西尾さんを見習って甲南転校希望するものの、お父さんに”テニスで飯は食えん”と即却下された。
野球部:野球部には最初30名近く入部しましたが、最後は12名でした。*冬の走り込みが辛くてよく部活をさぼり、当舎さんに怒られたこと。
バレー部:高1の時、ミュンヘンオリンピックで男子バレーが金メダルを獲得し、モチベーションが爆上がりしたこと。高1から岩井先生が顧問になり、実践的な指導が受けられるようになったこと。
音楽部:演奏旅行前に講堂で練習をしていて、本田さんがいきなり指揮棒を真っ二つに折り、自分の前の木製の譜面台もなぎ倒して講堂から出て行ってしまった事件。本田先生の「音楽はその文字の示す通り、だれでも楽しめるものであり、決して音学ではない」という単純で揺るぎのない信念。
山岳部:槍ヶ岳(標高3180m、日本で5番目に高い山)の頂上直下3070m辺りにある、猫の額ぐらいしかない非常に狭いキャンプ地で一晩を過ごした話。(顧問の坂上先生は「ワシは小屋に泊まるは」と言ってすぐ近くの槍ヶ岳山荘に宿泊。)
生物部:日常的活動はショウジョウバエを用いた遺伝の研究、品川先生の研究テーマのマイマイ(カタツムリ)の歯舌の研究。顧問はアルシナ先生。
弓道部:加地さんには、優しく懇切に指導頂いた。内職的な的貼りの仕事も、ピンと張った新しい的ができると、それなりに楽しかった。 扇、金的、射割りといった余興的イベントは楽しかった。
物理部:吉川先生が授業で行っていたドップラー効果を、目で見えるような装置を作ろうとしたが理解できるような装置ができなかった。
軟式テニス部:軟庭は高校卒業から今日まで50年間、毎年集まっている。秋山君が店の予約から皆(前後の期へも)への連絡まで全部やってくれていて、続けられたのは彼のお陰です。在学中も卒業後も「キャプテン秋山」頼みの軟庭です。
地学部(天文気象観測部):1972年10月久美浜でジャコビニ流星群の観測を行った時、真っ暗闇の海岸を何人かで歩いていると、お巡りさんがやってきて、ここは危ないから気を付けるようにと注意を受けた。久美浜の対岸は北朝鮮であり、まだ拉致問題が公になっておらず、日本海側は極めて危険なところということを意識することもなかった。(横田めぐみさん拉致事件は、1977年)。
地歴部:国土地理院の地図の各標高線を厚いボール紙に移して切り取って、各標高のボール紙を糊で重ねて貼合わせる立体地図が記憶に残っています。
陸上部:いつも淡々と、でもちょっとユーモア感を持って、顧問の平井先生が少しだけ距離を置いて眺めてくださっていたのが、救いだった。王くんが、何故かいつも筋トレをしていたような覚えがあります。
出版部:夏は出版部で議論する合宿があり、信州や岡山県笠岡市の離島とかへ行っていました。事務室に公立学校OBの事務職員の元教諭がおられ添削とか文の書き方とか教わったのはありがたかったです。
演技部:ステージクラフトとも言って、文化祭に講堂で劇をしていました。女性役を小林聖心に頼んで来てもらっていました。
体操部:顧問は栗田先生、スミス先生、岩井先生と変わりました。部員の少ない弱小チームでキャプテンの大下を除いては、まともな演技が出来ないのに試合には出ないといけない、というのがかなりのプレッシャーでした。
サッカー部:高校1年の時に近畿大会優勝。31期との混合チームで、先輩に引っ張ってもらってあれよあれよという間に優勝した話。 放課後の職員室で佃先生のきついご指導を受けた話。
(文責:32期 山田 博)
映画のご紹介(38期秋山純さん監督作品)
<石光先生より頂いた情報です>
2025年11月28日封切りの映画『栄光のバックホーム』は、私の最初の教え子、38期秋山純君の第1回監督作品です。
https://gaga.ne.jp/eikounobackhome/
日本各地で上映後の舞台挨拶に、出演者と共に秋山君も登壇するとのことです。
27期大森君、31期黒沢君のように、質の高い作品で活躍してくれることを祈ります。
2025年OB講演会のご報告(44期 塩田 周三さん)
OB講演会(44期 塩田 周三さん)

2025年11月14日(金)講堂で44期塩田周三さん(ポリゴンピクチュアズ代表取締役)をお招きし、OB講演会を実施いたしました。当日学年閉鎖になった中学1年生以外の全校生でお話を伺いました。今回の講演会は、先輩ご自身の母校への熱い思いと、別の機会に先輩の講演を聞かれた卒業生諸先輩からの強い推薦の上で実現しました。

9年間の海外生活・その後の六甲や上智大学での生活・新日鉄での会社員経験・その後縁あって飛び込まれたCGの世界・今では世界一老舗かつ国内最大のCGスタジオ経営という仕事などについて、「非オタで絵心のない」ご自身が、「物語」と「ノリ」をキーワードに非常に熱く非常にわかりやすく話して下さいました。

講演後は、CG関連の質問や、先輩からのメッセージを受け取った上での質問などが相次ぎ、先輩は一つ一つ丁寧に応じてくださいました。

放課後多目的室1で行った懇談会にも熱心な生徒が集まり、密度の濃い時間となりました。
お忙しい中お越し下さった先輩に感謝申し上げるとともに、六甲伯友会から先輩への交通費の補助を頂いていることをこの場をお借りしてご報告させて頂きます。
(文責:六甲学院教諭 48期 石崎 裕二)
14期同期会報告

六甲14期同期会
日時:2025年11月12日(水)13:00~15:00
場所:神仙閣 神戸店
出席者:可児、川田、菊井、三科、元川、山田 以上6名
昨年に引き続き神仙閣で、2時間程の楽しいひと時を過ごしました。
出席者は6名でしたが、店の係から時間を告げられるまで、
各位で話し込んでいました。
過去平均で20~30名、多い時は40名出席していたのに比較し、
人数的には寂しい感じですが 年齢が米寿云々の年配になってるので、
出席者が減ってゆくのはやむを得ないかなと思うところですが
菊井君が遠路、相模原市から出向いてくれたことには感謝しています
また、可児君の様に、いまだに全国をまたにかけ地方の多くの大学で
専門の眼科の講義・研究に励んでおられることは素晴らしいと思うし、
我々も頑張らねばという気分にさせてくれます。
再会を約束し散会しました。
(文責:14期 川田 英之)
第8回フリン先生を偲ぶ会

日時:2025年11月8日(土)
出席者:
23期 莵原良治
29期 高橋淳 八木一郎 松本宏 藤井則雄
35期 井住哲司 酒井俊弘 澤田俊 廣井由紀夫 堀口和弘 松田時彦 村上孝之
58期 清水彰(伯友会総会への勧誘幹事)
中央の人は35期酒井司教様です。
懇親会では、58期の清水 彰さんに、わざわざ東京から神戸に来て頂き、来年の総会参加への呼びかけをして頂きました。

「我々がフリン先生と出会ったのは、12歳の春だった。
あの密度の濃い6年の日々が、我々の精神を作り、血となり肉となったのは間違いない。
六甲学院の教え子である17、23、29、35、41期生、そして泰星の41期生は、フリン教(狂)の信者であると言っても過言ではない。」
17期の期の福田信三先輩が代表になって発行して下さった「ロバート・フリン」の本を読む度に、胸が熱くなって涙がこぼれ、そこから先が読めなくなってしまう。
そんな6期に及ぶ教え子が集まってフリン先生の追悼ミサを六甲学院別館のお御堂であげるようになって8回目を迎えました。
35期の酒井司教様に司式頂くちょっと贅沢な追悼ミサでした。
11月7日は、天気に恵まれ東京から分骨したフリン先生の神戸のお墓参りもつつがなく開催できました。
いつかは、この会を母体にして外の社会に向けて役にたつ事が出来たらいいなと思います。
日頃やんちゃの限りを尽くすOB生が、この日ばかりは、ちょっぴり良い子になった気がしました。
(文責:29期 藤井 則雄)

書籍紹介 服部洋介著「小説家になったとき やめたわけ」

30期(1973年卒)の服部洋介と申します。
12月18日に「小説家になったとき やめたわけ」(鳥影社)より刊行することになりました。
自伝的小説という形式ですが、六甲在学中のことにも触れています。
伯友会ホームページでの告知をお願いできればうれしいです。
内容の確認が必要であれば、12月18日の出版後でもさしつかえありません。
お忙しいこととは思いますが、よろしくお取り計らいください。
版元による出版情報は次にあります。
https://kaiin.hanmoto.com/bd/isbn/978-4-86782-192-3
経歴は次のとおりです。
服部洋介(はっとり ようすけ)
1954年8月4日 神戸市生まれ。
六甲中学・高校(30期)を経て上智大学文学部英文学科卒業。
1977年より松蔭中学、高校で英語教員として46年間勤務し、副校長、校長を務める。
同人誌『邦村』『VIKING』、文芸誌『文學界』『オール讀物』『すばる』『三田文学』などに作品を発表。
1981年 兵庫県の文化団体「半どんの会」及川記念賞受賞
1983年 「昔の眼」で第8回神戸文学賞受賞
1988年 「僕であるための旅」で第67回文學界新人賞受賞
2000年 「死はだれのものか」で第7回週刊金曜日ルポルタージュ大賞佳作
2006年 「地の熱」で第4回小島信夫文学賞受賞
著書 1981年『黄色い爆弾』(檸檬社)、1985年『私・僕・俺』(編集工房ノア)
(文責:30期 服部 洋介)
- «
- <
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- >
- »