五期会開催
- 開催日
- 平成27年5月20日
- 場所
- 舞子ビラ
- 参加者
- 松村雄邦、橋本昌和、雀部昌吾、中村至朗、橋本雅夫、千原 武、奥田 博、米谷 弘、可児秀雄、有川喜藏
当日は好天に恵まれ10人参加で五期会を開催致しました。
(有川記)

六甲伯友会のオフィシャルサイトです。
当日は好天に恵まれ10人参加で五期会を開催致しました。
(有川記)
2015年3月31日、この日護国神社に集まったのは13名。毎年3月31日は天候に関係なく事前の案内もなく護国神社に午後1時集まることにしている。
1本だけしか花が咲いていない年や、雨の中で花見をした時もある。今年は図ったように満開であった。天候も快晴で絶好の花見となった。これを続ければ花粉症はもちろん他の病にも罹りにくくなるという運動をY君の指導で古希を迎えた面々がいつになく真剣な表情で30分あまり行った。花粉症の者は症状が少し改善したようである。
いつものように摩耶ケーブル下の桜のトンネルを経由して王子公園駅まで歩き、三宮で仕上げをして散会となった。教わった運動を続け、健康を保ち、毎年3月31日の護国神社の花見が盛会になることを願っている。
今回は徳大寺・鈴木(清)・平林 諸兄が欠席で参加者が少な目ですが東京から上田さんの参加が補ってくれました。
さて、晴天には恵まれましたが、皆さん納得のいく成績とは言えず、寄る年波には勝てないとの言い訳で意見の一致があったようです。何はともあれ、無事18ホールをホールアウト出来ました。お疲れ様でした。

今回の幹事:大村・森(記)
ディアス先生が昨年長崎より東京に移ってこられましたので、是非、首都圏での同窓会をしようということになり、折角だからとメーリングリストで他地域にも声をかけ、北海道、長野、福井、京阪神、広島、ベトナムなど首都圏以外から10名、首都圏から28名、計38名の参加をみました。開会前にディアス先生が一人一人と握手して回られ、なかなか開会できないという、感動的な始まりとなりました。物故者11名の冥福を祈ったのちに、会が始まりました。先生は45年経っても、あまり変わられず、元生徒は丸刈り以上に短く?なった人たちもいましたが、じっと見つめればお前かと、また壁に張られた卒業アルバムの個人写真に、すっかり昔に戻っての集まりとなりました。まだ現役の人、リタイアして起業した人、大学院・大学に通っている勉強好き、ゴルフ三昧、田舎ライフをエンジョイ?している人等々、多彩な顔ぶれで旧交を温めました。最後に六年の春秋と校歌を斉唱し、また来年の再会を期してお開きとなりました。そのあとはそれぞれに二次会、三次会へ新宿の街に流れて行った模様でした。(山下記)
補足:最近はフリーメールでの連絡が中心になっています。メーリングリスト未登録の方はteiichi@j-tatsumi.com(辰巳), oyam8304@gmail.com(山下)宛て連絡ください。
今日は阪神大震災の20年目に当たり先ず犠牲者の方々に追悼の祈りを捧げ黙祷を致しました。
本年も23名の多くの参加者があり特に遠路より参加の立花君(名古屋)、中村君(東京)の母校愛、同期愛には敬意を表したいものです。
幸いにして本年も物故者はなく大変お元気の様に見えましたが傘寿を迎え多くの方が病気持ちであるが口だけはまだまだ達者で老後の介護問題の悩みの話題は出てきませんでした。
今後の10期会の存続にも全員OK しかしアルコール類を少なくし昼間に行いたいと思います。
全員元気で必ず来年また会おうぜ
浜田
32期は毎年、春のゴールデンウィークと夏のお盆の頃にゴルフコンペを開催しています。それだと夏と春の間が空き過ぎると言って、有志が秋に北海道へゴルフツアーをしたり、正月に新年会ゴルフをしています。しかし、今度は反対に私の様に「冬の寒い時にはゴルフはしない」と我儘を言い出す者もいて、今回の様に、昼はゴルフコンペ、夜は宴会となりました。両方参加の者もおれば、昼だけ、夜だけの者もいても還暦を前に高等遊民振りを発揮しています。還暦といえば、来年還暦を迎える32期は何をしようかという事が話題に上りました。佐野君の提案で、母校の立山フュッテに行く事を軸に話が進みそうです。同期のみなさん、また連絡しますので宜しくお願い致します。
(近藤 健記)
東京で「いじめ予防」に熱心に取り組んでいる弁護士、平尾君が母校で講演をするということで、下打ち合わせに来神。それに合わせ三宮の上海料理「老上海」で同期会を開催しました。
講演会の橋渡しをしてくださった飯塚先生もゲストで来ていただき、少人数でしたが懐かしい話、最近の動向など多くを語り合いました。
かなり風貌が変わったメンバーもいれば、全く変わらない者もいて、これも時を経て会う楽しみの一つですが、それぞれの持つ「六甲精神」(今はそう言わないそうですが)は健在で、互いに大いに刺激を受けました。
飯塚先生、お付き合いいただき本当にありがとうございました。
次はさらに多くの仲間と盛り上がりたいものです!
大西 潤
30期も昨年中より次々に還暦を迎え、退職など第2の人生を送るものが多くなった。
そもそもが平成26年12月13日にミュンヘン神戸大使館で忘年会をやったことがきっかけだった。同期H君が入院直前だったので励ましも込めてやろうと呼びかけたところ、東京、札幌をフェイスブック中継する大変なものになって、合計参加者30名位になる。その日は例のごとくどの会場も酒乱が出てシッチャカメッチャカに終わるというパターン。それで年明けはまじめに?定例の新年会だが、松浦謙神父の呼びかけで同期の逝去者を弔うミサから始めようという事になった。遠く西脇より園田も迎え、4時より松浦師司式、古泉(旧姓佐久間)新校長が侍者を務めるという豪華な顔ぶれで5人の逝去者(岩本、大野、上田誠、森泉、鈴村)のために捧げた。大野の奥さんも出席して下さり、旧交を温める。六甲学院讃歌、六甲学院校歌をみんなで久々に斉唱した。いい歌だ。
その後会場を替え、大豆屋で一風変わった鍋に舌鼓をうつ。けしからんことにこのミサに来ず、この会場に直接来た奴が約2名、その吊し上げから始まる。九州在住の出口や福山から来た上田茂らも久々を感じさせず、まるで昨日卒業したような話の輪の中で、それぞれの現況報告、まあ、しかし「老後」を感じさせないバイタリティあふれる話が続く。実はこの時間東京の有志数名がまた高円寺「ブリキの時計」(30期金澤経営)に集まっていて、今度は携帯で連絡し合いワイワイ話が盛り上がる。
これが引けた後は正月からコネを効かせてこじ開けた2次会のスナックへ、ハイボールを飲み続け、さらに3次会場へ、結局幹事の一人崎は家に帰らず、園田とホテルに泊まることになったという長い長い一日であった。
さらに後日1月14日この会に出席できなかったメンバーが約10名、どこにでも現れる高橋・島田の音頭で続新年会を開いたという。よう集まる学年だ・・・・
12月11日木曜日に、恵比寿の「春秋ユラリ」で、恒例の年末同窓会を開催しました。
参加者は下記の15名(敬称略)です。
昨年に引き続き関西から小島君が駆けつけてくれました。
久しぶりに、河西君が元気な姿をみせてくれました。
午後6時からワイワイガヤガヤと楽しい時間が過ぎて9時前に散会しました。
(久保田記)
参加者名:
内田、小坂田、米村、横田、田邊、及川、西澤、前田、
今年の会場はニューミュンヘンの神戸大使館。8階建て430席,地下で地ビールを醸造する巨大なビヤホールである。今年会場をここにしたのは「エレベーターがある」・・・からである。歩行不自由者には階段の利用は無理という昨年の提言に応えて、今年は「エレベーターがある」が、会場探しの必須条件になった経緯がある。
正午12時に開会、馬場信次君が3年ぶりに会を仕切る。長い闘病生活を感じさせない元気さである。出席者は12名。出席を決めながら,直前の不調による欠席が3名出たのは残念だ。山田康之君と鈴木英夫君それに大村眞司君である。一方久方ぶりの顔もあった。上橋正直君と稲森次郎君の二人、両君共に約十年ぶりである。二人とも奈良県からの遠距離出席、大変ではあろうがこれを機に是非出席を続けてもらいたい。
欠席者の近況報告によると,今尚仕事を持っている人がいる。事業や家業または奉仕活動などなど、それぞれ取り組んでいることがあるので欠席すると書かれている。一例を披露すると、ある私立女子大の剣道部の師範をしているという人がいる。詳細は分からぬが剣道部の師範となれば、相当の体力がなければ勤まるものではないだろう。是非一度クラス会に来て、その活動ぶりを聞かせて頂きたいものである。
名カメラマン鈴木君の欠席で、今年は馬場君と小倉君のカメラで集合写真を撮る。シャッターを押すのはフロアー係りの女店員。ニコニコと愛想よく「ハイチーズ」を繰り返しながら、大型小型二種類のカメラを手際よく操る。
二時半になって解散。今年も皆んなが笑顔で過ごしたクラス会は無事終了である。帰途一緒になった尾上芳郎君が杖をついている。今まで彼は元気組の一人。驚いて尋ねると急に転倒して足を痛め、今は杖がなければ歩き辛いと言う。やはり今年は「エレベーターがある」に拘って良かったのだと思った。
(奥 昭 徳 記)